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2022年12月24日

2022年12月24日 (土)

日めくりより/シルエットのいわれ 七年戦争

    

今日は令和4年12月24日。

   

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

   

「シルエット」の生みの親は誰?

Epson246

これは面白いと思って、ここに載せました。

※Wikipedia エティエンヌ・ド・シルエット

☝ ここによるとシルエットが財務大臣になったのは、

七年戦争の直後だと書いてありました。

「七年戦争」とは?

高校で勉強して以来かな。

調べてみました。

※5分でわかる七年戦争!

☝ このサイトによると、

戦争の発端はオーストリアとプロイセンの戦いでした。

そしてオーストリアにはフランス、ロシア、スペイン、スウェーデンが味方になり、

プロイセンにはイギリスが味方になりました。

戦場も、ヨーロッパだけでなく、北米やインド、アフリカにも広がり、

初めての世界大戦と呼ばれるそうです。

この戦いがきっかけで、イギリスは大国にのし上がっていきます。

アメリカは独立戦争につながっていきます。

フランスは、フランス革命へとつながります。

大きな歴史の転換点になった戦争と言えるようです。

   

シルエットさんの頑張りは、あまり実を結ばなかったようですが、

名前は残りました。

2

no+e 「シルエット」の語源はフランスのある人物の名前

本「アンゲラ・メルケル」⑤ メルケル首相を一番鍛えたのはプーチン大統領

今日は令和4年12月24日。

  

前記事に引き続き、

「アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの

母になるまで」(マリオン・ヴァン・ランテルゲム著

清水珠代訳 東京書籍)から引用します。

新しいテクノロジーにはつねに反応する科学者、メルケルはSMS

の便利さに夢中になり、CDUの皆にメッセージを嵐のように送っ

た。面白いほど熱心に送信し続けるので、SMSは「ショート・メ

ルケル・サーヴィスだよね」と皆は冗談を言いあった。

(130~131p)

  

メルケルにはこんな面もあったのですね。

  

メルケルの側近には、優秀な2人の女性が仕えていました。

ベアト・バウマンとエーファ・クリスチャンセンです。

さらに3人目の女性が登場します。

  

ウルズラ・フォン・デア・ライエンです。

この本では153pに登場します。

この名前、聞いた事があるぞと思ったら、

現在のヨーロッパ委員会の委員長でした。

ちょくちょくニュースに登場していました。

Official_portrait_of_ursula_von_der

wikipedia

メルケルの内閣で、大臣を歴任した人でした。

つい年齢が気になります。64歳でした。

  

アンゲラ・メルケルは西側の有力政治家たちとは反対の方、すなわ

ち東側で世の中について学んだ。中でも彼女を鍛えた筆頭は、世界

一広大な国の指導者であり、世界のポピュリズム的ナショナリズム

の権化であり、EUの政治路線やメルケルが体現する民主主義的価

値観とあからさまに対立するウラジミール・プーチンだった。メル

ケルとプーチンは特別な関係だった。彼女は被占領国側、彼は占領

国側であり、多少の違いはあったものの、ともに独裁的共産主義政

権を知り尽くしている。彼女が東ベルリンで物理学の博士論文を準

備していた頃、彼もまた東ドイツにいて、彼女のいた場所からおよ

そ200キロメートル離れた地点を拠点にしていた。柔道の黒帯を

なったうえ、要注意人物に関する情報カードの作成に異様な熱意を

もって取り組んだプーチンは、KGB中佐の階級をもってドレスデ

ンに派遣されていた。KGBすなわち旧ソ連の情報機関には20年

近く諜報員として勤めた。

(176p)

  

さらにプーチン大統領の記述を引用します。

  

とはいえ指導者たちのうちでプーチンがもっとも敬意を払うのはメ

ルケルだった。プーチンは同じ指導者の立場にある人物には軽蔑し

か抱いていなかった。1999年から連邦政府議長(首相に相当)

あるいは大統領を務め続けている彼は、その政権掌握の長さで他を

圧倒している。任期の長さからいえばメルケルは、2003年から

トルコの最高指導者を務めるレジェップ・タイイップ・エルドアン

とともに、それほど遜色はない。プーチンにすれば、ノビチョク

(神経剤)で反対派を抹殺させることも、平和的なデモ参加者を何

年かの懲役刑に処して黙らせることも簡単なのに、2005年から

政権の座にあるメルケルが透明で民主的な手法を維持していること

は、おそらく驚きのはずだ。政敵を追放するメルケルの政治的手腕

に、プーチンは内心舌を巻いている。

(179~180p)

  

メルケル首相が引退してから、戦争を始めたプーチン大統領。

メルケル首相をもってしても、

プーチン大統領は止められなかっただろうか。

政治はけっこう真剣勝負なんだと、この本を読んで思いました。

   

メルケルがもっともよく知っているプーチンは彼女の価値観とは対

極にある人物だった。プーチンとハンガリーの首相オルバーンが一

方に、メルケルとマクロンがもう一方に位置し、彼らはヨーロッパ

において敵対する政治勢力の象徴となっている。

(181p)

  

ここでハンガリー首相のオルバーンという名前が出てきました。

勉強します。

※NHK ハンガリーオルバン首相再選の背景

ハンガリーもEU加盟国です。

EUに加盟することを目指して、それがかなったのです。

しかし、加盟して、東西の格差を突きつけられています。

ハンガリーのぶどうが、スペインなどの西側の国のぶどうに

太刀打ちができないのです。

オルバーン首相は、EUがロシアの制裁で、

ロシアの天然ガス供給を減らしている中、

継続してロシアから天然ガスを供給してもらっています。

したがってガソリンも安いのです。

外国から、ハンガリーにガソリンを入れようとしても、

安い値段はハンガリーの車だけであり、

外国の車は、高値です。

自分の国中心の考え方です。

国民からは、こんなところが指示されているようです。

  

  

この本を読むことで、メルケル前首相のこともわかりましたが、

ヨーロッパのことも見えてきたと思っています。


  

本「アンゲラ・メルケル」④ 東ドイツの長所

   

今日は令和4年12月24日。

  

前記事に引き続き、

「アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの

母になるまで」(マリオン・ヴァン・ランテルゲム著

清水珠代訳 東京書籍)から引用します。

  

ポツダムの周囲に数多くある湖のひとつ、グリーブニッツ湖のほと

りの広い庭園で彼らはゆったりとお茶を飲んでいた。シュレンドル

フが率いた伝説的なバーベルスベルク映画スタジオも目と鼻の先だ。

昔の東西の境界が湖の真ん中を通っていたので、夜になるとここか

ら命がけで西側へ逃亡しようとする東ドイツ人が後を絶たなかった

ことを思い出した人もいた。監視塔が投げかける光のあいだをかい

くぐって岸から岸まで泳いで渡るのは至難の業だった。1980年

代、まさにこの場所で、自由を求めて死んだ人が18人もいたのだ。

(115p)

  

シュレンドルフは映画「ブリキの太鼓」の監督です。現在83歳。

東西冷戦がなければ、死ななくてすんだ18人です。

  

彼らはまたとない時代を迎えたと感じていた。再統一されたドイツ

にとって途方もないチャンス、二つの世界のいいとこ取りをして国

を作り変えるためのこのチャンスをどう生かすか、語り合った。皆

で力を合わせて新しい国作りを始めねばならないと考え、新生ドイ

ツ建設への貢献を模索することを集まりの目標に定めた。彼らは、

東と西で残すよう努力すべきものをひとつひとつ挙げたり、制度や

習慣についてそれぞれどちらが良いか検討したりした。西ドイツの

長所は、起業の自由、言論の自由、出版と報道の自由、民主的方法

など、すらすらと挙がった。東ドイツの方は、あまりはっきりしな

いように思われるが、じつは選ぶのに困るほどあった。助け合い、

慎ましさ、人々の間の連帯、隣近所で行なう土曜日の共同活動、無

料の保育所、職業上の男女平等などが挙げられた。

(119=120p)

  

東西ドイツの併合の時には、こんなふうに考えている人たちが

いたんだなと思いました。

いい考え方だなと思います。

   

アンゲラは、東ドイツの人間が共産主義国家の独裁政権下でどんな

苦労をしてきたかを知っていた。犠牲になる者もいれば、加害者に

なる者もいたが、大方はメルケル自身がそうであったように、どち

らでもなかった。英雄でもなく冷血漢でもなく、ただ人間味のない

受動的な態度を取らざるをえず、ちまちまと妥協をしながら、国家

権力が私的領域に介入し、個人が潜在的密告者になる全体主義機構

の煩わしさから逃れようとした。アンゲラは服従と警戒心によって

骨抜きになった人々を知っていた。

(123p)  

   

この本で、東ドイツの雰囲気が少しは見えてくるようになりました。

  

その後、2011年に発生した福島の原発事故をきっかけに、(メ

ルケルは)突如として方針を転換し、脱原発へと大きく舵を切る決

断をした。原発稼働年数延長を主張してきたCDU幹部は愕然とし

たが、メルケルはいつも通り、連邦議会の党派を説き伏せた。経済

界は怒りを浴びせた。慎重で「波風を立てないこと」が信条だった

アンゲラ・メルケルが、その経歴において珍しく大胆な決定を下し

たのはこのときが初めてである。

メルケルがふたたびこうした思い切りを見せたのは2015年、ド

イツに百万人の難民を受け入れる決断をしたときだ。福島の原発事

故後の豹変をもらたしたのは、勘と計算の両方である。原子力発電

所の爆発により人命が危険にさらされたことに衝撃を受けて反応し

たという意味で勘であり、問題に関する世論の高まりを察知し、そ

れに合わせて動くという得意技を見せたという意味で計算だったと

いえる。

(129~130p)

   

メルケル首相が視野に入ってきたのは、

この2つの決断の時だったと思います。

(あとはコロナ対策かな)

ドイツは脱原発に舵を切りました。

しかし、昨日の新聞によると、

本年度中で原発は全部止める計画は、

ウクライナとロシアの戦争の影響で、

エネルギー不足になり、延期となったようです。

政治は複雑です。

  

   

つづく

 

本「アンゲラ・メルケル」③ メルケルがメルケルになった時

      

今日は令和4年12月24日。

   

またショックなことが・・・

「アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの

母になるまで」(マリオン・ヴァン・ランテルゲム著

清水珠代訳 東京書籍)から朝から文章を引用して、

記事を1本仕上げたのですが、なぜか消滅してしまいました。

同じ記事をもう一度うつ気力はないので、

簡単に箇条書きにしておこうと思います。

  

1974年のサッカーワールドカップは、西ドイツで開催。

東西ドイツが戦うことがあった。メルケルはこの試合を見ている。

  

1988年。東ベルリンでブルース・スプリングスティーンの

コンサートが行われた。メルケルも観客の一人だった。

  

メルケルは離婚経験がある。一度目の式は教会で挙げたが、二度

目は違った。失敗したら次は違うやり方をするとメルケル。

  

メルケルは政治的な影響を受けない物理学を学ぶことに決める。

  

こんな内容でした。

気を取り直して、引用を頑張ります。

   

1977年、アンゲラは、3年前に知りあったウルリヒ・メルケ

ルという大学の友人の一人と結婚した。アンゲラはわざわざテン

プリンの両親のもとに帰り、縁のある人々を集めての祝宴を開き

教会で式を挙げたが、人生の一大事とはあまり思っていなかった。

二人は1982年に離婚した。

(74p)

  

メルケルがメルケルになったのは、この時でした。

離婚しても、彼女はメルケルを名乗りました。

  

東ドイツの日常生活には、つねに「この人は今私をスパイしてい

るのか?」という問題がつきまとった。いつ何時もこの疑念とと

もに生活しなければならなかった。

(78p)

  

東ドイツの監視社会をメルケルは体験していました。

 

メルケルが首相になったとき、二コラ・サルコジ元大統領の外交

顧問だったジャン=ダヴィッド・レヴィットは、ドイツ映画『善

き人のためのソナタ』について彼女に尋ねた。あるシュタージ職

員が反体制派と疑われる芸術家を監視するうち共感を覚えるよう

になるというストーリーで、2007年米アカデミー賞外国語映

画賞に輝いた、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク

監督による秀作である。「日常生活はあんな感じだったのですか

?」とレヴィットが聞くと、アンゲラ・メルケルは答えた。「い

いえ、あれよりもっとひどかったわ。映画みたいに、こちらが感

情移入してしまうような善良なシュタージ職員なんかいませんで

した」。

(79p)

  

この映画が観たくなりました。

監視するスパイ、シュタージはこの本の中にちょくちょく出てきます。

   

  

(トーマス)デメジエールとアンゲラは1990年4月29日に

モスクワに着いた。デメジエールはロシア語のできるアンゲラに、

生のソ連の声を拾ってくるように命じた。「バスや地下鉄に乗っ

て、町の人と話をしてほしい、ロシア人がドイツの再統一につい

てどう考えているかを知りたいんだ」。その後、アンゲラ・メル

ケルは任務を終えて戻り、ひと言で報告した。「『スターリンは

第二次世界大戦に勝ったが、ゴルバチョフは負けようとしている

(スターリンが勝って手にしたものをゴルバチョフがみすみす逃

そうとしている)』とロシア人は言っています」自宅のアパート

で、デメジエールはこの深い言葉をあらためてかみしめていた。

「今でもロシア人はそんな風に感じていると思います。ヨーロッ

パ人はゴルバチョフが大好きですが、ロシア人は大嫌い。そのぶ

んプーチンが好きなんです。プーチンがやり返しているという印

象がありますからね」

(100~101p)

  

ゴルバチョフさんは西側諸国、そして日本でも評判のいい人です。

それなのに、ロシア本国では不人気なのですね。

ゴルバチョフさんが亡くなられた時のロシア人の反応は、

それを物語っていました。

   

  

漁師たちは新人候補アンゲラに不安を打ち明けた。魚の価格や漁

獲可能量割当てといった新たな問題が持ち上がっていた。アンゲ

ラはメモも取らず話を聞き、「皆さんの問題は肝に銘じて持ち帰

ります。何もお約束はできませんが、何ができるか検討します」

との言葉を残して立ち去った。

(112p)

  

これがメルケルだそうです。簡単に約束はしない。

小さな約束をして、大きな成果をあげるのが、メルケルの主義です。

   

つづく

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