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2022年12月23日

2022年12月23日 (金)

本「アンゲラ・メルケル」② 「彼女は労をいとわなかった」

     

今日は令和4年12月23日。

  

前投稿のつづき。

  

「アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの

母になるまで」(マリオン・ヴァン・ランテルゲム著

清水珠代訳 東京書籍)より。

  

一人の出席者が「50年後の歴史書にどのように書かれたいです

か?」と尋ねたところ、メルケルは「彼女は労をいとわなかった」

と、はっとするようなひと言を返しただけだった。

(15p)

   

いいですね、このセリフ。

私もこう言いたいな。

歴史書には載らないけど、

その時その時、できることは労をいとわずに、

やってきたよなと思いたい。

思ってもいいでしょ。

死に際には言いたいです。

自分をこの点で肯定して死にたいですね。

  

アンゲラ・メルケルは言葉を大切にする指導者であり、コミュニケ

ーションより事実を求める。できることを約束する愚を彼女が犯し

たことはない。メルケルは「骨の折れる」民主主義の実践を行った

ことになるだろう。この表現はもっとも英雄的な闘士の一人だった

チェコスロバキアの元大統領ヴァ―ツラフ・ハヴェルのものだ。「

民主主義が元来持つ難点は、真摯に受けとめない者にほとんど何も

かも許すいっぽうで、誠実に実践する者にはきわめて骨の折れる仕

事であるということだ」。アンゲラ・メルケルは権力の行使に苦心

し骨を折った。彼女は自由の価値を誰よりも知っていたからだ。シ

ニスム(冷笑主義)よりもモラル、原理、法治国家、ヨーロッパの

統一といった気の重い事柄を選び、骨を折った。彼女は平和と民主

主義がどれほど手の届かないものか誰よりも知っていたからだ。メ

ルケルは本質的に、そしてきわめてアンチ・トランプ、アンチ・ジ

ョンソン、アンチ・ポピュリズム派だったことになるだろう。

(20p)

   

メルケルに興味を持ったのは、この点だと思うのです。

民主主義が当然行き着くところだと思っていたのですが、

世界の国々は必ずしもそうはなっていません。

でも東ドイツを体験しているメルケルは、

自由や民主主義が大事なものだとわかっていて、

それを実現しようとした人だったからでしょう。

    

つづく

本「アンゲラ・メルケル」① コソボ紛争とは?

       

今日は令和4年12月23日。

   

この本を読みました。

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「アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの

母になるまで」(マリオン・ヴァン・ランテルゲム著

清水珠代訳 東京書籍)

     

2005年11月から2021年12月まで、

ドイツの首相を務めたメルケル首相。

現在68歳。

ふと興味をもち、この本を手に入れ、読んでみました。

  

さっそく脱線します。

10pにコソボ紛争のことが書かれていました。

サッカーW杯で、セルビアのストイコビッチ監督が

コソボをののしることを言ったとニュースで見ました。

※「クソッタレ!」ストイコビッチ監督が興奮し問題発言

ストイコビッチと言えば、名古屋グランパスに所属して活躍。

その時は、私もJリーグをよく見ており、

素晴らしい人だなあと思っていました。

その素晴らしい人が、ののしるなんて、

セルビアとコソボはどういう関係なんだと思っていました。

そしたらこの本にコソボが登場。

  

コソヴォはアルバニア人が圧倒的多数を占める地域だったが、当時

はセルビアの領土に属していた。セルビアはコソヴォの独立を認め

ようとせず、民族浄化を繰り広げていた。

(10p)

   

コソボ紛争は聞いた事はありますが、よく覚えていません。

勉強しました。

※コソボ紛争 原因などをわかりやすく解説

このサイトをじっくり読みました。

1998年~1999年に起こった紛争でした。

ユーゴスラビアの一部であったセルビアの、

そのまた一部であったコソボは、

アルバニア人が90%を占める場所でした。

そこにアルバニア人が住むようになったのは、

オスマントルコの政策でした。

しかしその場所は、セルビアの聖地でした。

セルビアはキリスト教であり、

由緒ある建造物がコソボにあったのです。

そしてコソボに住むアルバニア人はイスラム教でした。

セルビアは、コソボに住むアルバニア人が許せなかったのです。

そして、コソボに住むアルバニア人は、

セルビアから独立したかったのです。

この状況で紛争が起こりました。

オスマントルコがまいた種が、ひどい状況を招いてしまいました。

NATOはコソボのアルバニア人に味方をします。

多くの血が流れ、紛争は終結します。

コソボは2008年に独立します。コソボ共和国。

しかし、その独立を認めていない国もあります。

セルビアは認めていません。

今も、セルビアの一部とみなしています。

ストイコビッチ監督が、コソボのことをののしった背景が見えてきました。

日本は、コソボ共和国を独立国と認めているのか。

認めていました。

学校で使っている地図帳には、

ちゃんとコソボが独立したようになっています。

   

コソボ紛争の頃、メルケルは、ドイツの政党の党首になるべく、

策略を行っていました。

現党首を追い落とし、その後に就こうとしていました。

その策略は成功して、メルケルは党首となります。

メルケルにはこのような面もあるのだと知りました。

  

つづく  

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