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2022年8月29日 (月)

「キャパとゲルダ」③ 「くずれおちる兵士」の真偽

    

今日は令和4年8月29日。

  

前記事に引き続き、

「キャパとゲルダ ふたりの戦場カメラマン」

(マーク・アロンソン&マリナ・ブドーズ著/原田勝訳

/あすなろ書房)より。

  

 

ここでも道草 「翼をください」③ 「崩れ落ちる兵士」はやらせ?(2022年8月16日投稿)

☝ この記事で書いた問題の写真です。

_

ロバート・キャパの名前を有名にした「くずれおちる兵士」

(「キャパとゲルダ」では”くずれおちる”はひらがな)

  

この写真が撮られた情景を、この本の本文では次のように書いています。

  

キャパとタローは、エスペホという村の近くで、共和国軍の小さな部

隊に合流した。昔から、その間は戦闘を行わないことになっている午

後1時から3時半の昼寝(シエスタ)が終わって少したったころ、丘

の斜面で兵士たちの一隊が訓練を始めた。タローとキャパは、房のつ

いた帽子をかぶって胸に弾帯をたすきがけにした兵士たちが、丘の上

を走り、塹壕の中で身がまえ、ライフルのねらいを定める様子を撮影

した。

キャパは兵士たちの前を走り、時おり体をひねってシャッターを切っ

た。タローはうしろから追った。兵士たちは再び丘を駆けあがり、指

揮官が腕を前方にふるのに合わせて、次の塹壕に飛びこんでいった。

どこかその途中で銃声が一度だけ響き、長身の兵士が腕を横に大きく

広げて銃をとりおとした。キャパはライカのシャッターを切り、銃弾

が兵士の胸を撃ちぬいて命を奪う瞬間をとらえた。

「くぜれおちる兵士」と呼ばれるこの写真は、史上もっとも有名な戦

争写真となる。スペイン内戦だけでなく、すべての戦争とその無残な

人的代償を象徴する写真となるのだ。

(74~75p)

    

訓練中に、不幸にも敵の狙撃兵に撃たれた兵士を

撮影したことになっています。

この本では、「『くずれおちた兵士』をめぐる論争」というタイトルで、

別に4ページほど、いろいろな説が紹介されています。

キャパ自身が、あの写真はやらせであったと言っているのを聞いた説。

写真の場所はエスペホという場所であり、

そこでは戦闘の記録がないという説。

そしてこんな説もあります。

  

さらに、この写真にとって不利な事実があります。すなわち、キャパ

もタローもシムも、撮影のために演技をしてもらうことがあったのは

たしかなのだ。当時はそういう手法が認められていた。したがって新

しい証拠が見つからないかぎり、いつどこで起きた戦闘なのか、その

日戦死した共和国軍兵士がだれなのか特定できず、その写真が演技で

ある可能性は排除できない。

(244p)

 

演技OKだったのです。

さらに、演技してもらっている時に、不運にも敵の狙撃兵によって

撃たれた瞬間だったという説もあります。

それだと、決定的瞬間をとらえたことになりますが、

キャパとしては、複雑な気持ちになる写真だと思います。

結局、現時点で、この写真が真実なのかやらせなのかは不明です。

ゲルダが撮影したものだという説は、この本では出てこなかったです。

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