37年経った日航123便墜落事故
今日は令和4年8月13日。
本当は12日に書く予定だった日航123便墜落事故に関して、
1日遅れで書きます。
37年後の8月12日のニュースや新聞記事では
どのように事故のことが報じられるのかを見ました。
NHKの「ニュースウォッチ9」、
テレビ朝日の「報道ステーション」、
朝日新聞を見ました。
37年が過ぎようとしているのに、
事故のことは報じられていました。
やはり、それだけ大事故であったということだと思います。
今朝届いた朝日新聞にも、事故のことが書いてありました。
でも、現在行われている裁判について少しでも報じたところは
ありませんでした。
「ニュースウォッチ9」では、二度とこのような事故が起こらないように、
航空各社が安全に努めていると言っていました。
でも私が知る限りでは、
日航123便は安全には配慮していたのです。
無事に大阪にお客さんを届けることができたのです。
自衛隊の標的機が垂直尾翼に当たって破損した状態でも、
横田か羽田の空港に無事着陸できた可能性があったのです。
そうなれば、520人が犠牲になることもなかったのです。
ある人の判断によって、日航123便は撃墜され、
無惨な証拠隠滅がなされたと私は思っています。
この事故を教訓に、安全を心がけるというのは、
おかしいことなのです。
昨日、青山透子さんからのメールが届きました。
そこでワタナベケンタロウさんの動画が紹介されていました。
YouTube: 【日航機墜落事故80】訴えを起こしたご遺族、吉備素子さんが語る。
さっそく見ましたが、裁判を起こしている吉備素子さんへの
インタビュー動画でした。
真実を知りたいだけなんだという吉備さんの気持ちが、
ひしひしと伝わってきました。
知らずにして死にたくないですよね。
私が知ったように、この事故原因について疑問に思う人が
増えてきているのではないでしょうか。
今行われている裁判が大きなきかっけになって、
真相が明らかになればいいなと思います。
最後に上記の動画のラスト画面を載せます。
青山透子さんの新刊の紹介と裁判の意義が書かれています。
歴史的な裁判だと思うのですが、
なぜテレビ・新聞は報じないのだろう。
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