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2022年6月24日 (金)

1998年2月17日の白馬スキー場にいた人の文章

      

今日は令和4年6月24日。

   

昨日、この記事にコメントが届きました。

ここでも道草 ジャンプ団体戦の感動秘話/テストジャンパー(2014年1月26日投稿)

昨年、映画「ヒノマルソウル」が上映されたことで、

その映画を見た人が、コメントを届けてくれました。

これが2通目です。

私も映画「ヒノマルソウル」を一度見ておきたいですね。

Hinomaru_2

映画『ヒノマルソウル 〜舞台裏の英雄たち〜』上映中!

     

そんなこんなで、いろいろ検索していたら、

いいサイトに出合いました。

感動映画『ヒノマルソウル』 映画には描かれなかった「長野五輪ジャンプ団体」の現場の真実を語る

コラムニストの堀井憲一郎さんの文章です。

堀井さんは、「ヒノマルソウル」の出来事があった

1998年2月17日の白馬ジャンプ場に観客としていました。

映画「ヒノマルソウル」を見て、当時を思い出して書いたものです。

  

観客もたいへんだったみたいです。

シャトルバスで会場に向かうのですが、

かなり手前で降ろされて、

1時間!雪中行軍のように歩いて

観客席にたどり着いたそうです。

 

原田雅彦の1本目は、

雪のために視界が悪い中でのジャンプであって、

観客席から見ていた人は「しかたがない」と思ったそうです。

テレビで見ると、視界が悪いようには映っていなくて、

「原田はなにをやっているんだ」という声があがっていました。

 

1本目が済んだ後に、次々にジャンパーが飛ぶのを見て、

不思議に思っていたようです。

そのジャンパーが、テストジャンパーだったのです。

これが劇的ジャンプだと知ったのは、

映画「ヒノマルソウル」を見た時だったそうです。

天候は悪いままだったけど、帰る観客はいなかったそうです。

2本目が行われて、日本は4位から順位を上げることを

信じていたそうです。

  

最後に原田雅彦さんは、「おれじゃないよ・・・みんななんだ」には、

テストジャンパーだけでなく、悪天候の中で応援していたお客さんも

含めてのことだと知りました。

   

映画「ヒノマルソウル」を近いうちに見ると思いますが、

この文章を読むことができたのはタイムリーでした。

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