「太陽の棘」読破/実話に基づいた戦後の沖縄のお話
今日は令和4年5月13日。
この本を読みました。
「太陽の棘(とげ)」(原田マハ著/文藝春秋)
上の写真では、「文春文庫」ですが、
私は図書館で単行本を借りて読みました。
沖縄返還があったのは1972年5月15日。
今年は返還50年。
テレビ番組で沖縄を取り上げる頻度が高くなっているのを感じます。
ちょうどそんな時に出合った本。
この本は読みだして知ったけど、沖縄の本でした。
終戦から3年ほどして、戦争で悲惨な場所となった沖縄に、
芸術家が集まって作られたニシムイ美術村。
そこで貧しくも芸術活動を続けていた人たちと、
アメリカ軍基地に勤務する若きアメリカ人精神科医との交流。
読み進むうちに、これは実話なんだ。
終戦直後の沖縄の住民と、アメリカ軍基地の人たちは、
決して正常ではない関係があったんだと思いました。
最後に、謝辞のページがあって、この小説が、
アメリカ精神科医の博士に聞いた話が元になったことを
原田マハさんは書いています。
戦後の沖縄を知る良書だと思いました。
印象に残った文章を引用します。
沖縄戦を闘い抜いた兵士たちの多くは、役目を終えて本国へ送還さ
れたが、そのまま「琉球米軍」の兵士となって残留した者もいた。
彼らの疲弊は、想像を絶するものだった。
精神を病んだ兵士の中には、アルコールに溺れ、薬物に手を出して、
気を紛らわそうとする者もいる。その結果、暴力沙汰を起こしたり、
うつ状態に陥って兵役につけなくなったりすることもある。
彼らが引き起こすアクシデントが、軍内部でのことならば、まだな
んとかなる。怖いのは、一般市民を巻き込むケースだ。
アメリカ軍が沖縄を占領してから、そういった事件が数えきれない
ほどあるらしいということを、赴任まえに聞かされていた。そのす
べてが明るみに出たら、いかに戦勝国とはいえ、アメリカ軍が沖縄
を占領するのは、生き残った市民たちのためであり、ひいては日本
を東アジア諸国の脅威から守るためだという大義名分が通用しなく
なるだろう。
(29~30p)
凄惨な戦争を生き残った兵士は、まともではすまなかったのです。
そんな兵士の身近にいたのが、沖縄の生き残った人たちでした。
一緒にいることで、悲しい出来事は多々あったようです。
私たちの頭上には、豊かな緑の枝葉が広がり、真っ赤な花が宝石の
ように輝いていた。サンフランシスコ近辺では見たこともないよう
な、いかにも亜熱帯らしい枝ぶりに、「うわあ、ずいぶん立派な木
ですね」と、私は少しおおげさに感嘆してみせた。
「デイゴという木だ。このへんに何本か生えているよ」
ウィルは、つまらなそうに応えた。しかし私は、色のない基地に晴
れ晴れとした花を咲かせている木があることを、うれしく思った。
(31p)
「デイゴ」とここで再会しました。
覚えていました。デイゴの花の写真を撮ったことを。
※ここでも道草 6月下旬の花々2/デイゴ(2012年7月20日投稿)
10年前のことでした。
目立っていました、赤い花。
人間というのは、ほんとうに不思議な生き物だと、つくづく思う。
どんなに暗い過去、つらい体験があっても、いつしかそれを「何か
いいことがありそうな」未来へと転換していけるのだから。
戦争が、終わった。とにかく終わった。何かいいことがありそうな
明日がくるのを待てばいい。
(51p)
いいこともあったけど、辛いこともたくさんあった現職。
退職した時の気持ちはホッとした気持ちでした。
そして何かいいことが起こりそうだと思ったのです。
だからこの文章は印象に残りました。
こう考えることができるから、
人間はしぶとく生きていけるのですね。
折れそうな時は、心療内科。
今は心療内科を一刻も早く卒業したいと思う自分がいます。
つづく
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