「太陽の棘」②/私たちには、アートがあった
今日は令和4年5月14日。
前記事に引き続き、
「太陽の棘(とげ)」(原田マハ著/文藝春秋)
より引用します。
アメリカ人と沖縄人、勝者と敗者、持つものと持たざるもの、支配
するものとされるもの。私たちを分け隔てるものはたくさんあった。
けれど、私たちには、それらのいかなる現実よりもはるかに強い、
たったひとつの共通するものがあった。
美術。私たちには、アートがあった。私たちは、アートをこよなく
愛していた。
たとえ英語が話せなくとも、日本語がわからなくとも、私たちには
アートを見る目と心があった。
それは、一編のうつくしい詩に代わるもの。耳に心地よい歌に代わ
るもの。一杯の芳醇なワインに代わるものだった。
(84p)
歌は国境を超えるとか言われますが、
この小説では美術(アート)がその役目をしていました。
「沖縄は日本じゃないと、いつだったか、ウィルに意地の悪いこと
を言われたけど・・・・僕は、そうは思わない。ここは、やっぱり
日本なんだと思うよ。そりゃあ確かに、サムライもゲイシャもいな
いしフジヤマもないさ。でも・・・・ここ日本の、いちばん特別な
場所だ。そうに決まっている」
学生時代から日本という不思議の国に憧れてきたアランは、いまで
は沖縄固有の伝統文化に傾倒し、いずれ本格的に研究したいと考え
るようになっていた。
アランがそうまで深く沖縄に思いを寄せるようになったのは、もち
ろん、ニシムイの芸術家たちとの交流があってのことだった。
(156p)
彼らは、ニシムイ村の人たちと交流することで、
戦後の沖縄の、いや戦後の日本のたくましさに触れたのだと思います。
「なんだかんだ言って、おれは、あいつが羨ましいのかもしれない」
独り言のような口調で、タイラが言った。
「おれには妻もいる。小さな娘もいる。どうしたって、売り絵を描
かなきゃならない。自分の描きたいものは、後回しにせざるを得な
い。・・・・だけど、ヒガは、ほんとうに自分が描きたいものしか
描かないんだ。それが、あいつにとって、たったひとつの生きてい
く理由だから」
生きるために、描く。
それは、ヒガの思いであり、タイラの決意でもあった。私は今さら
ながら、ニシムイの画家たちの絵が、なぜこんなに私の心をとらえ
て離さないのか、わかった気がした。
(179p)
ヒガが変わっていくのが、この小説の大事なところです。
これから読む人は、ヒガに注目してみてください。
以上で引用は終了。
人に勧めたくなる本でした。
さあ、今日はテストづくりを頑張るぞ。
コメント