本「キネマの神様 ディレクターズ・カット」/私にとって「映画」は「テレビ番組」だな
今日は令和4年4月22日。
この本を読みました。
「キネマの神様 ディレクターズ・カット」
(原田マハ著/文藝春秋)
「人生でわかんないことがあったら、映画を観ろ。答えはぜんぶ映
画の中にある」
(19p)
いいこと言うなと思います。
私にとっては「テレビ番組を観ろ」と言いたくなる人生でした。
「ほんばーん!」
ゴウが声を張り上げた。園子にパラソルを差し掛けメイクを直して
いたスタッフたちが、砂に足を取られながら退却する。テラシンは
息を詰め、両手をぐっと握り締めた。
きらめく海景の縁取りの中で、園子と相手役の俳優・岡村が、ゆっ
くりと浜辺を歩き始める。波の音とカモメの鳴き声ばかりで、園子
たちのセリフはテラシンの耳には届かない。
この情景がスクリーンでどんなふうに再生されるのだろうか。当た
り前のことだが、そこには出水もゴウもカメラマンも音声係もいな
い。フレームの外側で汗水垂らして動き回っている人々は誰ひとり
映っていない。映画作りにかかわっている、かくも大勢の人たちの
姿を一切消し去って、ただ園子たち登場人物だけが物語の世界を生
きているのだ。そう気がついて、テラシンの胸は静かに震えた。
(69~70p)
これもテレビ番組に置きかえることができます。
テレビ番組も多くの人たちの働きによってできています。
私たちは、その結果を見ています。
すごいすごいすごい。テラシンは感動で体が芯から熱くなるのを感
じていた。
映画って、こんなふうに撮られているのか。一瞬一瞬が真剣勝負な
んだ。
撮影の最中、監督は絶対的な存在だった。右と言えば右、左と言え
ば左、役者もスタッフも監督の指示のままに動く。逆に言えば、監
督が指示を出さなければ何も動かない。出水の態度は時に横柄のよ
うに見えるが、そうじゃない。全員を導いていく圧倒的な力がなけ
れば現場はまとまらないし、役者の能力を最大限に引き出せないの
だ。監督は一カット一カットにこだわり抜き、そのこだわりに役者
もスタッフも呼吸を合わせ、全身全霊で挑んでいる。
だからなのか。------一カット一カットに、映画の神様が宿
っているのは。
(71~72p)
映像を生徒に見せる授業をしていると、映像の力を意識します。
関係者が全身全霊で制作した映像には、やっぱり力があると思います。
授業で見せることで、生徒にはプラスになると信じます。
私の人生では、映画をたくさん見てきたとは言えません。
でもテレビ番組はたくさん見てきたと思います。
なので、この本で映画を称賛するシーンは、
映画ではなくテレビ番組に置きかえて考える脳になっていました。
そう思うことで、自分の人生を捨てたもんじゃないなと
思おうとしています。
ちょっとひねくれた読み方をしました。
原田マハさんのタッチは、私には相性がいいと思います。
原田マハさんの本は、これからも読んで、
気持ちよく感動させてもらおうと思いました。
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