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2022年4月 6日 (水)

「新ドキュメント 太平洋戦争1941第1回開戦~前編~」②

    

今日は令和4年4月6日。

   

前記事に引き続き、

昨年12月8日放映の「NHKスペシャル  新ドキュメント 

太平洋戦争 1941 第1回 開戦 ~前編~」の聞き書きをします。

   

ナレーター:子育てにいそしむ金原まさ子さん。日記には、子ども

  のご飯が質素になってきたことが、綴られている。

日記「8月11日。外米になってから、子どもの腹こわしが増えた。

  今月からは麦が入る。7割外米の麦入りときては大変なり。大

  人は我慢するが、子どもはかわいそうだ。」

ナレーター:実は住代ちゃんの兄は、幼くして食中毒で亡くなった。

  そのため、金原さんは、娘の体調をひときわ心配していた。

  大阪で精米店をきりもりしていた井上さん。ピアノを楽しむ余

  裕も消え失せ、政府に不満をいだくようになっていた。

日記「政府はいたずらに統制、統制と言って、配給が遅れている。

  米の入荷がないので、配達することもできぬ。」

ナレーター:生活の変化の背後にあったのは、3年に及んでいた日

  中戦争だった。戦時体制が強化され、政府は食料を統制。農村

  部では、軍への米の供出を強いられた。食糧難の影響は、都市

  部にも広がり、市民の贅沢が禁止された。暮らしに影が立ち始

  めた開戦の前年、市民はアメリカを戦争の相手国として意識し

  はじめたのは、いつだったのか。

  埼玉県浦和に住む女学生、笠原徳さん。当時17歳。この年、

  1月の日記に綴られていたのは、アメリカへの夢や憧れだった。

日記「午後、シネマを観に行った。昨年度のアカデミー賞を得た「

  スタア誕生」といふの。ロスアンジェルス ロマンティックで

  美しくあざやかだった。」

ナレーター:笠原さんは、アメリカの友人と文通し、見知らぬ国へ

  の憧れを募らせていた。

  これは当時の映像。人びとはハワイアンやジャズに夢中だった。

  アメリカ文化が流行し、反米感情よりむしろ親近感をいだく市

  民が多かった。

  しかし、しだいに笠原さんの日記では、別の国の存在が増して

  いく。ドイツだ。

日記「6月2日。訓練されしドイツ軍。中でも英仏より数世紀も進

  んだ機械化部隊の活躍めざまし。今度の戦い、ドイツに凱歌あ

  がらん。」

ナレーター:当時、ヨーロッパでは、第2次世界大戦が勃発。ドイ

  ツ軍は破竹の進撃を続けていた。笠原さんのドイツへの関心は、

  日を追って高まっていった。

日記「9月27日。日独伊、積極的な同盟生まれる。軍事、政治、

  経済、あらゆる方面から完全に一体となり、世界の民族のリー

  ダーとなれる。三国の力強さ、ますます心ひきしまる。」

ナレーター:17歳の心をとらえた三国同盟。日米開戦の1年3カ

  月前。日本は、ドイツ、イタリアと同盟を結んだ。日本の狙い

  のひとつは、日中戦争の解決。中国を支援するアメリカやイギ

  リスを、ドイツと組んで牽制することであった。日本はナチス

  ドイツの人気に湧いた。

  デパートにはためく鍵十字の旗。両国の絆を祝うダンスショー

  を、人々は喝采した。

  アメリカを強く刺激し、太平洋戦争開戦の大きな要因となった

  とされる三国同盟。危機感をいだく人物がいた。後に真珠湾攻

  撃を指揮する山本五十六は、こう訴えた。

発言「三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなりし上は、日米

  戦争を回避する様、極力ご努力願いたい。」

ナレーター:ドイツとの同盟が戦争をもたらすリスク。市民はどこ

  まで認識していたのか。今回集めた市民の日記から、戦争に関

  係する単語を抽出。その数は延べ2万に達した。それを時系列

  に沿って並べ、戦争への危機感や関心が、どのように変化して

  いったのかを探っていく。

  1940年から翌年にかけて、最も高い値は、日米が開戦した

  1941年12月だった。一方、グラフの値が最も落ち込む時

  期があった。三国同盟が結ばれた1940年の9月から11月

  にかけてだ。アメリカとの戦争の危機を感じるどころか、戦争

  への関心が薄らいでいたと考えられる。

専門家「本来なら国際的危機が反米論があがっておかしくないんで

  意外だったです。この日独伊三国同盟の意味、真意が国民に伝

  わらなかったという問題を考えないと」

ナレーター:市民の戦争への意識が高まらなかった要因として、専

  門家が指摘したのが、言論統制。政府は、三国同盟への批判的

  な意見を禁止。同時に反米感情の高まりも警戒していた。アメ

  リカへの敵性感情をあおる記事を禁止する。

  当時の陸軍大臣東条英機が言論統制のエゴドキュメントが残さ

  れていた。

発言「英米に対して三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いた

  ずらに排米運動を行うことを禁止する。」

ナレーター:東条ら軍の指導者たちは、この時点では、アメリカと

  の徹底的な対立を避けようとしていた。すでに陸軍は、100

  万を超す大兵力を、日中戦争に投じていた。その上、アメリカ

  と対立する余裕はなかったのだ。

  これはこの年に撮影された政府のプロパガンダ写真。日本とア

  メリカの青年たちによる卓球大会。日米親善がことさらに強調

  されていた。アメリカとの戦争を招きかねない三国同盟を結ん

  だ日本。その一方で、親米を演出するという矛盾に満ちた政策

  を推し進めていた。しかし、そうした日本のご都合主義は、ア

  メリカには通用しなかった。ドイツと結んだ日本に、アメリカ

  の世論は反発。厳しい経済制裁を求める声は8割に昇った。飛

  行機の燃料や屑鉄などの重要資源の輸出禁止が、矢継ぎ早に決

  まった。

   

今晩はここまで。49分番組の20分まで聞き書きをしました。

聞き書きは勉強になるし、後で読み返すことで、

短時間に内容を思い出すことができます。

しかし、時間がかかります。

  

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