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2022年3月26日 (土)

番画〈765〉:被爆者、坪井直さんの遺言

    

今日は令和4年3月26日。

  

番画です。

  

〈765〉「NNNドキュメント’22 あきらめない 被爆者

  坪井直の遺言」(2022年3月14日放映)

  

〇坪井直さんについては、以前記事で書いた事がある。

 検索して調べた。

 ※ここでも道草 「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その5/坪井直さんの証言(2016年8月11日投稿)

 2015年の番組を1年後に記事にしたもの。

 読み直してたくさん思い出した。

 しっかり聞き書きをしている当時の自分に感謝。

 ついでにこの記事でリンクされていた次の記事も読む。

 ※ここでも道草 オバマ大統領と「核なき世界」(2016年6月20日投稿)

〇坪井さんは昨年10月24日に96歳で亡くなる。

 被爆地広島の顔だった。

〇「決してあきらめないようにしてほしい」

 「ネバーギブアップ」

 「ネバーギブアップは捨てはしませんよ」

 「死ぬるまで、最後の息が止まるまで、核兵器廃絶やるで」

〇広島テレビには坪井さんの映像がたくさんある。

 最初は36年前。

〇坪井さんは教員をしていた 校長で退職

 退職してから、核廃絶運動に積極的に関わる 語り部になる

〇坪井さんは1925年5月5日生まれ。

 20歳で被爆。

 爆心地から1.2kmの位置。

〇御幸橋に行き着く。写真に写る。(上記2016年の記事参考)

〇「せっかく生きたんだから みなさんの力で生きたんだから

 お返ししたいというのは それはずっと続く」

〇1946年に中学校の数学の先生になる。

 自らを「ピカドン先生」と言って被爆体験を語ってきた。

〇「被爆者は長生きできない」という偏見から、

 恋人の鈴子さんとの結婚を反対される。

 2人は睡眠薬を飲んで心中を図る。2人は生き残る。

 坪井さんはすごい体験をしていた!

 出会ってから7年後に2人は結婚。3人の子どもに恵まれる。

 鈴子さんは1992年59歳で亡くなる。

〇「心を込めて、ノーモア広島 ノーモア長崎 ノーモア被爆者」

〇アメリカには憎しみがあった。

〇エノラゲイが復元されて展示された。坪井さんは見に行った。

 しかし原爆による被害は紹介されていない。

 被害が紹介されることを望む。

〇坪井さんは癌、狭心症、慢性の貧血に悩まされる。健康体ではなかった。

〇2016年5月 オバマ大統領が広島を訪問。

 現職アメリカ大統領の訪問は初めて。

 「まずは一歩として評価したい」

 謝罪を求めなかった坪井さん。

 憎む・恨むでは「それでは世の中、人類は幸せになれん」

〇広島テレビが最後に聞いた言葉。

 「核兵器がなくなったら、それでいいのか。

 原爆がなくなったらいいのか

 他の方法も見なきゃいけない

 人間のこれ悪知恵ですよ。

 それだけで終わっちゃいかん

 もっと考えなきゃいかん」

 核兵器無き後まで考えていた坪井さん。

〇「私の目が黒い間に 核兵器がなくなることは

 あり得ないかもしれない それが現実ですよ

 しかしその道が つぶれなければいい

 私の行った道を一緒に歩いてくれる人がおればいい と思う」

  

   

坪井直さんの言葉を聞き書きしてみました。まさに遺言です。

核兵器の廃絶は、坪井さんもオバマ大統領も、

自分が生きている間に実現するのは難しいと言っていました。

それが現実かもしれないけど、言い続けないとね。

あらためてそう思わせてくれた30分番組でした。

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