「葬り去られた真実」④ 30分間余で決断したのは誰?
今日は令和4年3月20日。
前記事に引き続き、
「葬り去られた真実 日航機墜落事故の疑惑」
(宮村浩高著/青心社)
より引用します。
本書では、空のSOSである「スコーク77」が、
「ドーン」という音の後、たった7秒で発信されているのは、
「ドーン」の前にすでに何かに気がついていた証拠だと書いています。
水平飛行に移って一度は解除したシートベルト着用を、
再び実施している。
「ドーン」の直前の、コックピットと客室乗務員の
会話からも、コックピットの緊張状態が感じられる。
乗客の一人であった小川哲さんのカメラからは、
飛行物体のようなものが写った写真が発見されている。
小川さんの席は機体右側の一番後ろの座席から3列目右側窓よりの
列の通路側。
機体の被害が大きかったのは右側だったという記事。
そして著者はこう書いています。
以上、いくつかの「謎」を列記したが、もうおわかりであろう。こ
れらの事実が何を示しているのか。そう何らかの飛行物体が事故機
の右側からぶつかったのである。
(246p)
謎の物体が事故機に衝突したという突拍子もない大胆な推測に、「
まさか」と思われる方も大勢いる。確かに恐ろしい推測である。し
かし、前章で記した「謎」は紛れもない事実であり、それらの「謎」
に誰も明快な回答を出していないのもまた事実である。
外部から物体が衝突したと考えると、今まで挙げてきた数々の不自
然な部分が氷解していくのである。
(247p)
そして著者は、事故機に衝突したのは「無人標的機」だと考えます。
スコーク77の異常な早さ、コックピットクルーの異常とも言える
緊張、乗客の小川哲さんが捉えた飛行物体のようなもの、機体右側
に集中した損傷、多くの人たちの機体から上がる炎の目撃証言、オ
レンジ色の破片、機体破片の第一発見者である護衛艦「まつゆき」
の存在。
これらの事実を並べると、海上自衛隊の「無人標的機」が衝突した
という”推測”に行き着くのである。
(256p)
そして捏造の理由に迫っていきます。
ともかく自衛隊が民間機を撃墜、五百人以上の死亡者を出したとな
ると世間が許さない。折しもこの時期、中曽根政権は、アメリカの
意向に沿って防衛費1%枠を撤廃し防衛費拡大に向かう体制にしよ
うとして国内反対勢力と「1%枠」攻防のまっただ中であった。
(257p)
「1%枠」についての議論は覚えています。
国民総生産の1%枠を防衛費が越えるかどうかの攻防です。
アメリカは戦後、日本に対して航空機の開発などをさせなかった。
その代わりアメリカ製の航空機、軍事兵器を日本に買わせ続けてい
る。敗戦国の日本にとってそうせざるを得なかった。
そんな時期に自衛隊がアメリカ企業から購入した兵器で民間機を撃
墜したとなると、それこそ防衛費拡大どころではなくなる。そして
この事故原因が明るみに出ることによって防衛費枠が削減されるこ
とは、膨大な金額の兵器を買わせているアメリカ軍事産業、アメリ
カ国家にとってそれら利権が縮小することであり、それだけは何と
しても避けたい。こういった構図から日本とアメリカの国家レベル
の密談が出来上がったのではないか。
(258~259p)
この決断を、無人標的機が衝突して、日航機が墜落するまでの30
分間余りでしたことが恐ろしい。
小田周二さんの書かれた本によると、
日航機は最後は戦闘機に撃墜されている。
誰が決断したんだ。中曽根首相か?
著者の宮村浩高さんは1961年生まれ。同じ歳でした。
宮村さんがこの本を書いたのは19年前。
もっと早く知っていたらなと思います。
宮村さんが読んで参考にした
角田四郎著「疑惑 JAL123便墜落事故」が
図書館で貸し出し準備OKのメールが届きました。
今から29年前の本。事故からたった8年後の本。
さっそく図書館に行って借りてきます。
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