「放射線を浴びたX年後」③ イギリスもクリスマス島で核実験 マグロ放射能検査の中止
今日は令和4年1月20日。
1月16日の記事の続きで、
「放射線を浴びたX年後」(伊東英朗著/講談社)より
引用します。
イギリスがクリスマス島で核実験を行った際、近くで操業していた
あるマグロ漁船の乗組員からは、こんな話を聞いた。
その頃は、すでに何十回も水爆実験が行われていたので、どのよう
な周期で実験が行われるのか、乗組員たちは学習ずみだった。つま
り、一回爆発したら次の爆発までインターバルがある、ということ
を理解したわけだ。だから実験が行われると、「それ行け」とばか
りに船を出し、爆心地で魚を獲った。乗組員たちはもちろん被ばく
するし、獲った魚は、とんでもない被ばく魚ということになる。そ
の魚はどこに行ったのだろうか。
(148p)
イギリスも核保有国です。
そして太平洋で核実験を行っていたのですね。
この本を読んで初めて知りました。
※日本原水協 生涯つづく「クリスマスプレゼント」 ──論議を呼ぶ1958年のイギリス水爆実験─
☝ これは1997年の記事ですが、イギリスがクリスマス島で
行ったひどいことが書かれていました。
社会科の授業で、地図帳で何か地名を探す時には、
「クリスマス島」はきっと出てくる島です。
「え、そんな名前の島があるの?」と喜んで探します。
1997年の記事によると、1777年のクリスマス・イブに
キャプテン・クックに「発見」されたことで
この島の名前がついたようです。
いいイメージのある島名ですが、実際はひどい場所になっているようです。
核実験に参加した1万2千名の兵士も、そして島民も被ばくしました。
そして1997年時点で、核実験の後片付けはできていないのです。
放射線を発する遺物が存在している可能性が高いのです。
原爆マグロのパニックを収拾するために、日本政府は荒技に出た。
1954年12月28日、鳩山内閣は、マグロ放射能検査の中止を
閣議決定した。(中略)
築地の中央卸売市場をはじめとする全国の市場での検査は取りやめ。
マグロは流通し、食卓に運ばれた。広島市立大学の高橋さんは眠り
についた赤ん坊を一瞬見つめ、噛みしめるようにこう語る。
「調査が打ち切られたことにより、日本人科学者の間で批判が強か
ったにもかかわらず、被ばくしたマグロは再び市場に出回った。
1954年を通じて日本全土に広がったパニックは収拾したが、そ
の代わりに、被ばくマグロによって再び潜在的な被ばく者が生み出
されていった」
(148~149p)
時として政府はとんでもないことをします。
歴史から学ぶ。
政府とはそういうものだと知っておいた方がいいです。
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