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2022年1月30日 (日)

本「眩(くらら)」② この世は生き残った者が勝ちだ

     

今日は令和4年1月30日。

   

前記事に引き続き、

「眩(くらら)」(朝井かまて著/新潮社)

より引用します。

   

「富嶽三十六景」は最初10枚が描かれました。

その10枚を見て、西村屋があと26枚描いて下さいと言います。

「先生、これは『富嶽三十六景』と行きましょう」

「富嶽三十六景・・・・」

「三十六という数字は験がいい。三十六歌仙に、不動明王が従えて

おられるのも三十六童子です」

「俺ぁ、描けと言われりゃいくらでも描くが、富士だけの錦絵で三

十六枚たあ、よほど肚ぁ括らねぇと出板は続けられねぇぞ」

親父どのにしては珍しく、念を押すような物言いをした。西村屋の

内証が火の車であることをよく承知しているからだ。

「わかってます。いざとなりゃ、三十六計、逃げるに如かずってね」

すると親父どのは腕組みを解き、頭をのけぞらせた。三代目も一緒

になって、笑い声を立てている。お栄はその意味がわからなくて、

五助と顔を見合わせたものだ。後になって親父どのに訊ねると、昔、

唐の国の偉い人が唱えた三十六の戦い方のうち、最上の方法を指し

ていると教えられた。

「戦法のうちで最も上なのは、とっとと逃げるってことだ。あいつ、

いざとなりゃあ逃げる、夜逃げするってよ」

(198~199p)

   

「富嶽三十六景」完成に向けて、こんなドラマがあったと

想像するのは楽しい。

          

巨きな波が天に届かんばかりにうねり、今、まさに砕け散らんとし

ている。その波頭は飛沫を上げ、お栄は己の顔に潮を浴びたような

気さえする。

荒波に揉まれているのは、江戸に向かって懸命に操る三杯の荷舟だ。

それぞれの舟には何人も男たちが身を伏せ、波の勢いにただひたす

ら身をまかせているようにも見える。

ふだんは穏やかで、江戸と気軽に行き来できる神奈川沖なのだ。魚

や薪炭を運んで、それを暮らしの生計(たつき)にしている。

けれどいざとなれば海はかくもそびえ立って、襲いかかってくる。

波に舟ごと呑まれて死ぬか、それとも乗り切れるかの瀬戸際がここ

には描かれていた。だが人々は、これらの舟は決して沈まぬと信じ

るだろう。

絵の中心に、富士の山が描かれているからである。

ふだん、江戸のそこかしこで見上げ、霊山として拝みもしてきたそ

の山があることで、人は希みを見出すのだ。己ではどうしようもな

い境涯にあっても、富士の山はいつも揺るぎなく美しい。

死んでしまうその刹那まで、生き抜こうじゃねぇか。

親父どのの呟きが耳朶(じだ)で響いたような気がした。深刻な声

じゃない。いつものように肩の力が抜けた、洒落のめすような物言

いだ。

紙の左上には「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と画題が刻まれ、北

斎改為一筆と落款が記されていた。

(204~205p)

   

Hokusai040_main

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai040/

    

この絵が誕生した時の景色です。

  

  

親父どのは今年に入って出した絵本「富嶽百景」の跋文(ばつぶん)

でも、ふだん言い暮らしていることを真率に書き記した。

「正直言って、俺が七十になる前に描いたものなんぞ、取るに足り

ねぇもんばかりだ。七十三を越えてようやく、禽獣虫魚の骨格、草

木の出生がわかったような気がする。だから精々、長生きして、八

十を迎えたら益々画業が進み、九十にして奥意を極める。ま、神妙

に達するのは百歳あたりだろうな。百有十歳にでもなってみろ、筆

で描いた一点一画がまさに生(いけ)るがごとくになるだろうよ」

跋文ではもう少し気取って書いてあるが、親父どのは本気で長寿を

願っているのである。

この世は生き残った者が勝ちだ。そのぶん、修業が続けられる。

(209p)

 

「この世は生き残った者が勝ちだ」は強烈な言葉です。

でもそう思いたい。生涯現役でとことん何かをやりたいと思います。

まだまだ生き残りたい。

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