« 2022年1月2日 | メイン | 2022年1月5日 »

2022年1月3日

2022年1月 3日 (月)

番画〈591〉:夏井いつきさん「俳句に賭け、俳句に救われた人生」・・・自分は「道草」でいこう!

    

今日は令和4年1月3日。

   

番画です。

   

〈591〉「プロフェッショナル 仕事の流儀 17音、

  言葉の力を信じて 俳人 夏井いつき」

  (2021年12月7日投稿)

  

〇夏井いつき(64)

〇「古びたイメージのあった俳句を、この人は、

 人気のエンターテイメントに押し上げた」

 「俳句ブームを牽引している」!

 確かにそう思う。

〇旦那さんとの夕食シーン。テーブル上にはスプリングバレー!

 これで親近感。

〇「俳句に賭け、俳句に救われてきた人生」

 番組を見ていったら、「救われた」がわかった。

〇「自分が理解できない句を否定しない。

 あらゆる句を愛す」

〇「言葉を組み立てていく作業というのは、単なる技術。

 技術は身につけられるんです」

 プレパトを見ていても、その考え方だと思う。

〇43歳で離婚して、シングルマザーとなる。

 精神的にも経済的にもどん底となる。

 「人生、生きていたらいろんな困難とか

 しんどいことは山ほど起こってくるけど、

 俳句というアイテム、つえを1個もっとくと、

 その自分のしんどいことを

 人にぶつける言葉じゃなくて、

 俳句という書く言葉で昇華できる。」

 「俳句はぬちぐすり(命の薬)」

 「心が楽しいことをするのも”ぬちぐすり”」

 「私の俳句がだれかの”ぬちぐすり”となる。好循環」

上記のことが、この番組の肝だと思います。

辛いことがあっても、人にぶつけることがなく、

書き言葉で昇華できるのが俳句。

それに匹敵する自分にはつえがあるかどうか。

   

思うのは「道草」という行為が、

自分にはそれに匹敵すると思います。

このブログがそう。思いついたら動くのもそう。

新しいことに目移りして動くのもそう。

番画を見るのだってそう。

好奇心に従って動くのがそうだと思います。

何より、「道草」という言葉に長く親しんできました。

辛い時こそ、道草をして自分らしくいこう。

そんなことをこの番組を見て思いました。

番画〈589〉〈590〉:DJ社長のメッセージ 年賀はがきのお年玉くじの起源

     

今日は令和4年1月3日。

   

番画です。

   

道徳で見せたい動画としてこの動画を紹介している人がいました。

  

〈589〉

【好きなことで、生きていく】『レペゼン地球-DJ社長-』

1

〇紹介者も賛否両論があると書いている。

 道徳の時間に見せるかどうかは授業者しだいでしょう。

〇猛烈な勢いで話をする人だ。それが41分間。

 社長になりたい、DJで有名になりたい

 その思いを達成するために何をしたかを語る。

 どちらかと言うと失敗談が多い。

 でもそこから這い上がるポジティブさに驚く。

〇この番画を見て元気をもらう人はいるだろうなと思う。

 2018年の番画で、1281万回の視聴がある。

  

   

〈590〉「チコちゃんに叱られる」

  (2022年1月2日放映)

  

〇疑問:何で年賀はがきにはお年玉くじがついているの?

〇チコちゃんの回答:戦後の日本を明るくするため。

〇お年玉くじが始まったのは昭和25年。

〇年賀状の起源は平安時代までさかのぼることができる。

〇お年玉くじを始めるきっかけは画家の林正治さん。

 思いついたらものにしたタイプ。

 牛乳のキャップを安全に取る道具も発明した。

  

〇疑問:何でお正月にはお屠蘇を飲むのか?

〇チコちゃんの回答:若者のエキスを吸い取って

 不老不死を手に入れるため

   

〇疑問:何でコロコロよりゴロゴロの方が大きく感じるのか?

〇チコちゃんの回答:「コ」と言うよりも「ゴ」と言うときの方が

 実際に口の中の空間が大きくなっているから。

〇濁点は大きい、強いイメージ。

〇物が大きくなると低い音が出る 低い音、大きなイメージ

  

〇疑問:何で運動会で赤組と白組に分かれるのか?

〇チコちゃんの回答:平氏が赤、源氏が白だったから。

〇これは知っていたけど、より詳しくわかってよかった。

   

授業で使うとしたら、年賀状のお年玉の話と、赤組白組の話でしょう。

新年早々、いい番組を手に入れました。

林正治さんの思いついたらすぐに行動していくのは見習いたい。

父親が特別養護老人ホームに入所しました

    

今日は令和4年1月3日。

   

昨年12月中旬から、父親が特別養護老人ホームに入所しました。

この大みそかと正月1日に家に戻ってきましたが、

もうこれで、天寿を全うするまでホームで過ごすことになります。

ホームで看取りをしてもらいます。

定期的に面会に行くと思いますが、

もうこれで家に父親が戻って来ることがないというのは、

一大事です。

  

父親の介護用にレンタルで借りていた

介護用ベット、介護用支柱、車いす、トイレの支え、玄関のスロープなど、

近日中に撤去される予定です。

  

この選択がベストだと思いたいです。

世の中には親の介護を頑張っている方が多いと思います。

私も今まで頑張ってきたつもりです。

要介護5になって、負担が大きくなっていました。

許してね、おじいちゃん。

20211226報告⑩ 絵本「わすれないで 第五福竜丸ものがたり」

     

今日は令和4年1月3日。

   

第五福竜丸展示館に行って勉強したことと、

行ったことをきっかけにして勉強したことをまとめています。

   

展示館でこの本を購入して読みました。

A1t3sezdj4l

amazon

「わすれないで 第五福竜丸ものがたり」

(赤坂三好 文・絵/金の星社)

  

和歌山県古座市で、第五福竜丸の前身である

第七事代丸(ことしろまる)が建造されて

進水するところから描かれています。

そして焼津に移って第五福竜丸となって、

遠洋に出かけるようになります。

そして核実験ブラボーと遭遇します。

死の灰をかぶった第五福竜丸と船員たちには、

その後過酷な出来事が待ち受けていました。

第五福竜丸は東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」に

生まれ変わります。

このお話は、二見正直さんの紙芝居「わしのだいじなふね

第五福竜丸」に詳しいです。

「はやぶさ丸」として10年以上働いた第五福竜丸は、

夢の島に捨てられました。

  

本から引用します。

 

船を守ったのは、港で働く人たち、ジャーナリストから話をきいた、

多くの市民でした。世田谷区に住む会社員、武藤宏一さん(26歳)

は、新聞に、「沈めてよいか第五福竜丸」という投書を送り、”人間

のあかしとして船を守り、忘れかけている人にはそっと思い起こさ

せよう”とよびかけました。保存のための会が生まれ、運動が始まり、

募金が集められました。人びとは、船のまわりに集い、語り合い、

水を汲み出し、そうじをし、沈没を防ぎました。そして1976年、

第五福竜丸展示館(都立)が開館しました。

   

武藤宏一さんの投稿については、

第五福竜丸展示館に展示がありました。

Rimg2218

Rimg2219

朝日新聞の「声」の欄は、自分にとっては重要な情報源です。

映画「西から昇った太陽」を知ったのも「声」の記事でした。

きっと今以上に新聞の力があった当時、

武藤さんの「声」は影響力があったのだと予想します。

その武藤さんですが、早死にしていました。

Rimg2220

でも第五福竜丸展示館の完成は目撃することができたことでしょう。

よかった。

第五福竜丸展示館は、たくさんの思いが積み重なって

できたところなのだと感じました。

   

絵本「わすれないで 第五福竜丸ものがたり」も、

第五福竜丸展示館で永久に保存されることになったことを告げて、

終えています。




 

 

20211226報告⑨ 67回の核実験にはすべて実験名がついている

    

今日は令和4年1月3日。

   

第五福竜丸展示館に行って勉強したこと、

行ったことがきっかけで勉強したことをまとめています。

   

マーシャル諸島で行われた67回の核実験には、

すべて名前がついています。

その展示物の写真を載せます。

Rimg2198

太平洋戦争の翌年の1946年から核実験は行われています。

1954年に行われたキャッスル作戦の最初が

ブラボーでした。

Rimg2199

自分の認識としては、ブラボーで第五福竜丸をはじめ、

多くの船を被曝させ、他の島々も汚染したので、

このブラボーがきっかけになって、地下実験に移っていったと

勝手に思っていました。

全く違いました。

1958年まで核実験は続けられました。

20211226報告⑧ 放射能に汚染された廃棄物を封じ込めたルニット・ドーム

    

今日は令和4年1月3日。

   

第五福竜丸展示館に行って勉強したことと、

行ったことがきっかけで勉強したことをまとめています。

   

アメリカの核実験が行われたのがマーシャル諸島です。

マーシャル諸島の説明が書かれた展示物の写真です。

Rimg2138_2

マーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁で核実験は行われました。

住民はどうなったのか。

Rimg2151

エニウェトク環礁が除染された時に、

ルニット・ドームというものが造られました。

Rimg2160

第五福竜丸展示館の安田事務局長さんは、

このドームを訪れて、上部を歩いたそうです。

コンクリートの劣化が認められたそうです。

  

今、福島でも同じようなことが行われています。

放射性物質を封じ込めることの難しさを感じます。

最近の写真

  • Img_8078
  • Img_8077
  • Img_9636
  • Img_9635
  • Img_9634
  • Img_9633
  • Img_9632
  • Img_9631
  • Img_9630
  • Img_9629
  • Img_9628
  • Img_9627

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉