「がんになって良かった」と言いたい③
今日は令和3年6月27日。
前記事のつづきで、
「『がんになって良かった』と言いたい」
(山口雄也・木内岳志著/徳間書店)
より引用していきます。
それでも、欲を言うなら、あと少しだけ、ほんの少しだけ、
生きてみたい。
ダメだろうか、やっぱり。
それは欲張りだろうか。
結局そんな心配無駄だったよね、って笑い合う瞬間が、どれほど
幸せに満ちていることだろう。お前死ぬ覚悟出来てるとか言って
たやん、カッコつけやがって、と馬鹿にされることを、僕はどれ
ほど望んでいるだろう。
どうか、これがただの夕立であってはくれないか。
意外と強く降るくせにすぐ上がって、初夏の茜空にうっすら虹を
かけるような、そんな夕立であってはくれないか。
(128p)
心の機微まで表現されているなと思いました。
頭に浮かんだことが、ブログにしっかり書かれています。
亡くなった患者仲間の言葉。
「僕はね、自分のこと、可哀想だとは、思わないよ、むしろ、失
ったものより、得たものの方が、多すぎて、自慢話に、なっちゃ
うからさ」
(183p)
自慢話って発想がいいよなあ。
昨夏、急性白血病を宣告された。青天の霹靂であったが、病は既
に深く巣くっていた。身体中の骨髄をがん細胞が蝕み、血はもは
やただの有害な赤い液と化していたのだ。つまり僕の造血器は生
きるべき本来の機能を完全に喪失していたのである。
(211~212p)
白血病と聞いても、どのような病気かもよくわかっていません。
この表現にあるように血が「有害な赤い液」と化すというのは、
ショッキングな言葉でした。
短いけど結構いい人生だったんじゃない?
そうだよ、幸せだったよ、本当に。
就職も結婚もしたかったけど、子供とお酒片手に語り明かしたり
孫を抱きしめたりもしたかったけれど、それはちょっと欲張り過
ぎかなあ。
せめて最期の日は晴れてるといいなぁ。神様それぐらい叶えてね。
静かな朝がいいです。
半ば自分に諦めるように、言い聞かせるようにして呟く。
誰も悪くないさ。
この美しい世界に生きられてよかった。
楽しかったよ、二十一年間・・・・。
(216p)
全然欲張りじゃないよと言いたい。
2020年1月1日のこと。
暗がりの病室でイヤホンをして紅白を眺めるほど虚しいものはない。
時計はひっそりと針を進め、病室は誰にも祝われることなく静かに
年を越した。
「僕が死ぬ年だ」
(234p)
こんな気持ちで新年を迎えたんだ。
う~ん、うなってしまいました。
僕にできることは、治療を受けてその結果を受け入れること、ただ
それだけであった。たとえそれが「死」であったとしても。どうや
ら僕は、必死に運命に抗(あらが)ってきたけれど、抗うことに精
一杯で、運命そのものをひっくり返すことなど寸分たりともできな
かったようだ。今回も、攻撃に耐えることばかりに意識が及び、そ
して気がつけば相手に王手を打たれていた。僕は玉将を下げること
でしか戦いを続けられない。
(237p)
危機に瀕して、山口さんの表現は研ぎ澄まされている感があります。
玉将の動きはよくわかります。
大学卒業、就職、結婚、親孝行、旅行、車、マイホーム・・・
オリンピック観たかったなぁ、と病床でスマホの当選画面を眺めて
いたら、消灯の時間が来て辺りは暗闇に飲まれた。
(238p)
山口さんに比べて、自分がどれだけ幸せなのか
自覚しないといけないと、この文章を読んで思います。
ハプロ移植が成功して退院した時のこと。
そのときふと、自身の境遇をぐちぐち言う自分が、いかに愚かで
あるかを思い知らさせた。僕はまるで何もわかっちゃいない。こ
の世に生きているということが、どれほど素晴らしいからという
ことについて、これだけの経験をしたのに、まだ何も分かっちゃ
いない。
後遺症がなんぼのもんじゃ!
留年がなんぼのもんじゃ!
バイト辞めるんがなんぼのもんじゃ!
生きとるんやから贅沢言うな!
そう自分に言い聞かせる。恥ヲ知レ!!!
僕はおそらく、とんでもない力によって生かされている。
理由は分からないが、とにかく”生かされて”いるのだ。
(245~246p)
この叱咤は、自分に言い聞かせたい。
つづく
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