「この国の不寛容の果てに」⑥ ✖「自己犠牲思考」
今日は令和3年3月24日。
前記事に引き続き、
「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」
(雨宮処凜編著/大月書店)より。
今日のニュースで、次のようなものがあった。
精神疾患の患者の体をベッドなどにくくりつけたりする「身体拘束」
の人口100万人当たりの実施数が、日本はオーストラリアの599倍、
米国の266倍に上るとの分析結果を、国際研究チームが英精神医学
誌「エピデミオロジー・アンド・サイキアトリック・サイエンシズ」
に発表した。
前記事に関連したニュースです。 引用元:毎日新聞
「身体拘束」が多い理由は、診断の方法にもある可能性あり。
この本を読んだおかげで、私の関心に引っかかったニュースです。
まだまだこの本から引用します。
森川すいめいさんと雨宮処凛(かりん)さんとの対談。
森川:そういう考え方を「自己犠牲思考」と言ったりもしますね。
自己犠牲思考は、自己の選択でジレンマを解決できるから簡単なの
です。たとえば消費税率を上げるか上げないかという議論のとき、
10%に上がっても自分は我慢できるという人は上げることに賛成
します。自分が進んで犠牲になるという選択をしながら、目の前の
ジレンマを解決できるから心理的には楽なのですね。見方を変えれ
ば問題をお金で解決しているとも言えるのですが、葛藤をショート
カットで解決できるという意味では魅力的です。みずからを犠牲に
するということは、そういう安易な選択でもありうるということで
すね。
(78%)
「自己犠牲思考」かあ。
私はこの思考でかなり乗り切ってきたと言えますね。
教材や教具がほしい時は、まずは自分で買っていました。
お金で解決していました。
他にも、自分がやれば解決するものはそうしてきた傾向があります。
この思考の果てに、
やることを抱え込んで自滅していく自分が見えてきます。
「自己犠牲思考」は決していい考え方ではないことを、
残りの人生のために、この機会に心に置いておきたいです。
雨宮:「迷惑をかけない」というのが日本社会では最大のモラル
のようになっていますよね。「他人に迷惑をかけるな」と子ども
のころから言われ続けていて、弱者であるということは自分が迷
惑をかける存在だと認めることになるから、生活が苦しくても他
人にも公的福祉にも頼らず生きていこうとする。そして最期も家
族に迷惑をかけないように尊厳死を選ぶ、というのは「迷惑」の
内面化された最たるものではないでしょうか。日本の国教は「人
に迷惑をかけるな教」だと常々私は思っていますが、「迷惑をか
けるな」という圧力がこんなに強いのって日本だけなのでしょう
か。
森川:同じ苦しい状況でも、個々人が我慢してがんばってしまう
のが日本で、みんなで話しあって工夫するのが北欧だと思うんで
す。さっきお話ししたように、自分を犠牲にして耐えるというの
はいちばん安易で短絡的な対応だと思うんです。北欧ではむしろ
「自分たちがいま苦しんでいる状況は次の世代も経験するかもし
れないことだから、いまの世代のうちに乗り越える方法を考えよ
う」と、社会全体で受けとめる考え方があると感じます。
(79%)
「自己犠牲思考」は「いちばん安易な短絡的な対応」としています。
そうなんだよな。
気をつけよう。
そしてみんなで話しあって工夫することを心がけたいです。
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