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2021年3月 3日 (水)

「羊は安らかに草を食む」② こうや って失われていく一つ一つの命

   

今日は令和3年3月3日。

  

前記事に引き続き、

「羊は安らかに草を食み」(宇佐美誠著/祥伝社)より。

  

  

丘の上には9人ほどの兵士の死体が転がっていた。砲弾が直撃して

バラバラになった者もある。機銃掃射もあったようで、体を弾で撃

ち抜かれて死んでいる者まであった。まだ新しい血の臭いがした。

共産党軍だろう。汚れてくたびれた軍服姿だ。ほんの小さな隊だっ

た。もしかしたら、大隊からはぐれてさまよっていたかもしれない。

それでも軍は軍だ。国民党軍から攻撃されれば、応戦するしかない。

それでこうして全滅したって、誰も気がつきやしないのに。

農民から徴発されたのだろう彼らの顔は、兵士らしい険しさもなく、

どこかひなびて見えた。戦う目的や意義すら、わかっていたのかど

うか。この戦争は、いったい誰が始めたものなのだろうか。こうや

って失われていく一つ一つの命があることを、その人たちは考えた

ことがあるのだろうか。益恵は子供なりに考えを巡らせた。

(244~245p)

   

自分がこんな戦死をしたなら無念だと思う。

戦争はこのような死をつくり出してしまう。

どう考えてもダメなものです。

 

益恵さんは、敗戦で満州から逃げる時に、

家族を全部失って孤児となり、

同じく孤児の佳代さんと生きのびて、

日本に戻ってきた過去を持つ人です。

  

  

黄さんは、日本人に雇われて働いていたらしい。その日本人がよく

してくれたから、自分も日本人に親切にしようと思ったのだと、そ

んなふうな話をした。彼らも日本に引き揚げていったのだが、その

時に店や家財道具を売ったお金から、黄さんにもたくさん分けてく

れたらしい。どうせ引き揚げ船に乗る時には、千円しか持っていけ

ないのだそうだ。

難しい話は聞き取れないので、何度も聞き返してそういう事情が理

解できた。

益恵は、黄さんに親切にしてくれた日本人に心の中で感謝した。見

も知らない日本人の行いが、今、自分たちを助けてくれているのだ。

不思議なつながりだった。

(260p)

益恵さんが感謝するのはよくわかります。

人のために親切をすると、人のために何かしてあげることは、

そこからいい現象を生み出すんだろうなと思います。

そんな映画があったよなあ。

思い出した。

Wikipedia ペイ・フォワード 可能の王国

  

  

「再見(サイチェン)」

黄さんは手を挙げた。もう二度と会うことはないけど「さよなら」

は「再見」だ。中国の言葉は優しい。

(265p)

  

  

「また会おう!」と一緒かな。

  

  

終盤にも印象に残る文章が多くありましたが、

ネタバレになってしまうので止めます。

終盤にいろいろなことが判明し、

予想外の展開となります。

ぜひ読んで、楽しんでください。

   

  

 

参考文献のページを載せます。

Epson621

  

満州からの引き揚げの様子は、

これらの本を参考にして書いたのでしょう。

悲惨でした。

参考文献を読まなくても、引き揚げの様子はこの本で伝わってきました。

  

びっくりしたのは、最後の本。

「脳科学者の母が、認知症になる」

この本は読んでいます。

ここでも道草 「脳科学者の母が、認知症になる」① (2020年1月27日投稿)

小説を書く人も、あの本を読むんだ。

それでこんな素晴らしい小説を創り出してしまうのですね。

小説家はすごい。

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