「絶滅寸前季語辞典」② 「竈猫」「落穂拾い」
今日は令和2年11月18日。
前記事に引き続き、
「絶滅寸前季語辞典」
(夏井いつき編/東京堂出版)より。
2001年発刊の本です。
絶滅寸前季語をあと2つ引用します。
竈猫
かまどねこ◆三冬◆動物
解説 竈の灰の中にもぐって、暖をとろうとする猫のこと。
ある一人の俳人が考え出した造語が、ついには季語として認定さ
れることがる。この季語がまさにその生い立ちをたどったもので
ある。
何もかも知つてをるなり竈猫 富安風生
竈の灰にまみれて丸くなった猫。ずっとそこで眠っているかに見
えるが、実は厨(くりや)で繰り広げられるすべてのことをお見
通しなのだ。猫の眠そうな薄目や、灰の中にうずくまって保護色
状態になっている様子だとかを思えば、ナルホド納得の発想であ
る。
「竈」がなくなってきた現在、「竈猫」という季語の存続を危ぶ
む声もあるが、作者・富安風生のこの一句の作品的価値こそがこ
の季語の生命エネルギーである以上、そう簡単には滅びるとは思
えない。
(246~247p)
まず「三冬」を調べました。
「三夏」と同じく、冬全体をさす言葉と想像できました。
「三」は初冬、仲冬、晩冬の三つの冬です。
「竈」という漢字は、現在あまりに有名になりました。
マンガ「鬼滅の刃」のヒットによってです。
主人公の名前でこの漢字が使われているからです。
「竈門炭治郎」
すごい名前です。
「富安風生」について調べました。
調べてビックリです。
私の地元市出身の俳人でした。
「とみやすふうせい」(明治18年~昭和54年)
縁があった人です。
またじっくり調べたいです。
落穂拾い
おちぼひろい◆晩秋◆植物
解説 刈り取った稲穂が、こぼれているのを拾う作業
これもまた、機械化の波に押されて消え去ろうとしている季語であ
る。今は、一挙にコンバインで刈り取り、一気に籾の状態にしてし
まうので、穂の形のままで落ちていることがほとんどなくなってき
た。
言葉が生きものである以上、長い長い年月の中でいつkぁは変化し、
そしてあるものは滅びていく。それは致し方のないことだ。では、
ならばなぜ絶滅寸前季語を守ろうとしているのかと問われるならば、
それは俳句の世界における樹木医のような仕事だと考えているから
だ。
1歩の大きな桜の木にも寿命があり、いつかは力つき朽ちてゆく。
それは逆らいようのない自然の摂理だ。どうせ朽ちてゆくものなら
ば、今ひと思いに伐り倒しても同じではないかという人もいるかも
しれないが、やはりそれは違う。いずれは尽きてゆく寿命を、ほん
の少しでも生き長らえさせ、1年でも長くその花を咲かせ、そして
そっと地に葬ってやるのが樹木医の仕事だと思っている。
言葉だって同じだ。時代とともに滅びていく言葉はたくさんある。
どうせ滅びてゆくものだからさっさと捨ててしまえというのは、桜
の木を伐り倒すことと同じだ。いずれ滅びてしまう言葉だからこそ、
せめてその言葉をできるかぎり味わい、ひと花咲かせてやり、そし
てその滅びようをきっちり見届けてやることもまた、言葉を慈しむ
ことだと思うのだ。(後略)
(181p)
「落穂拾い」という言葉は、ミレーの絵画でよく知っています。
でも実際にどのような作業を指すのかは、今回調べてしまいました。
ミレーの絵画がなければ、消滅は早まったと思います。
夏井さんの、絶滅寸前季語を扱う理由に心うたれました。
「後略」した部分で、夏井さんは、
「落穂拾い」の現実がこの地上から完全になくなる日が来たとしても、
俳人が、架空の世界で、
この季語を使って句を作ることを期待しています。
滅びていく言葉をできるだけ味わい、ひと花咲かせる発想なのでしょう。
「陶枕」「竈猫」「落穂拾い」
このブログで扱って、絶滅が少しは長びいたかな。
自分の中では確実に長びいた。
コメント