色彩がつなぐ 広島の記憶/記憶の解凍
今日は令和2年8月2日。
8月1日から夏休みでした。
7月31日までの5日間はなかなかハードでした。
でもやり切りました。
7月最後の社会科の授業は、「広島・原爆」をしました。
1998年放映の「NHKスペシャル 原爆投下
10秒の衝撃」と、
2005年放映のドラマ「広島 昭和20年8月6日」を
利用した授業でした。
この2番組を保持していなければできない授業。
そんな人はあまりいないでしょうから、
これは稀な授業ですよ。なんてね。
この授業については、また後日書きたいです。
今回は広島に関する記事を紹介します。
2020年7月30日朝日新聞夕刊1面の記事です。
この写真に驚きました。☟
記事を引用します。
色彩がつなぐ 広島の記憶
戦前から戦時中、戦後にかけて白黒写真を、人工知能
(AI)や関係者への聞き取りによって色づけする。そ
んな取り組みを続けてきた学生と大学教授が、355枚
の写真を一冊の本にまとめた。凍り付いたモノクローム
の記憶を、彩りによって今と地続きにーーー。
その作業を「記憶の解凍」と呼んできた。
寺の山門の奥から、おかっぱ頭で笑顔を向けるワンピース姿の女
の子。そばでは、別の小さな子が何やら足元をのぞき込んでいる。
山門の下のベンチには、腕枕で寝そべった人の姿も。
この白黒の写真が撮影されたのは、広島市の旧中島本町にかつて
あった慈仙寺。今は、平和記念公園が広がるエリアだ。1936年
8月9日。のんびりしたお盆前の何げない風景が収まっている。
しかし9年後、このほぼ真上で原爆が炸裂。寺は、臨時の火葬場
になった。
広島市出身で東京大学1年の庭田杏珠(あんじゅ)さん(18)
は今年の3月にこの写真を入手し、6月に1週間かけて色づけをし
た。まずパソコンに取り込み、人工知能を使って色をつけた。山門
下のたるに刺さっているのは、広島のお盆に欠かせない盆灯籠。今
も残る風習なので色は知っている。手動で、黄や紅などの色を載せ
ていった。
しかし、山門に下がったちょうちんの模様の色は分からない。寺
の近所に住んでいた浜井徳三さん(86)=広島県廿日市市=に尋
ねると、「年中ぶら下ってたもので、黒っぽかった」と教えてくれ
た。子どもたちの服は分からない。ネットなどで、当時の雰囲気を
調べて色づけした。
白黒写真だと「過去の人たち」だと感じていたものが、カラー化
すると、まるで今を生きているように感じられた。
「今の私たちと変わらない、普通の暮らしがあったんだ」
(中略)
彩りがあるだけで、写真の中の人々の息づかいが感じられ、躍動
的になる。白黒で撮られた被写体について、ゆかりの人に尋ねると、
記憶の中の色が呼び覚まされる。そう感じ、この作業を「記憶の解
凍」と名付けた。(後略)
この写真には驚きました。最近の写真だとおもったら、
84年前の写真でした。
息づかいが感じられました。
今とつながりました。
もうこの場所は、原爆によって失われて存在しないのですよね。
そう思えません。
「記憶の解凍」はいい言葉だと思いました。
写真をまとめた本を手に入れたいなあ。
その他、記事に載っていた写真です。☟
紹介された写真。後方は広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)
物産陳列館がきらびやかになった。
こういう記事に出合えるから、新聞は面白い。
またひとつ、道草完了。
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