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2020年8月 5日 (水)

「ボクはやっと認知症のことがわかった」② 認知症になっても心は生きています

  

今日は令和2年8月5日。

  

前記事に引き続き、

「ボクはやっと認知症のことがわかった」

(長谷川和夫著・猪熊律子著/KADOKAWA)より。

  

  

 (認知症の人に)話しかける際には、遠すぎず、近すぎず、その

人と1メートルくらいの距離をとったところで言葉をかけてもらう

のが、ちょうどいい。目線の高さも大事です。上から見下ろすので

も、下から見上げるのでもなく、同じ高さにして、目と目を合わせ

る。

 認知症になったら「何もわからなくなる」と思っている人がいま

す。でも、繰り返しますが、そんなことはありません。心は生きて

います。嫌なことをされれば傷つくし、褒めてもらえばやはり嬉し

い。

(71p)

  

認知症の父親と過ごしている時に、このことも思います。

父親には責任感もプライドもあり、

それが生きていく支えにもなっているのです。

  

  

 日本は1970年に、65歳以上の人口比率が7%を超える「高

齢化社会」に突入した(14%を超えると「高齢社会」という。日

本が高齢社会になったのは1994年)。

(122p)

  

日本はとっくに「高齢化社会」ではなくて「高齢社会」なんです。

あと6年で私も65歳以上になります。

私が加わると、何%になるのかな。

加わる直前に、思い出したら調べることにしよう。

  

  

 それにしても、当時の認知症の人は悲惨でした。「役立たず」

「家の恥」とされ、家庭のなかでも放置されたり、別の部屋に隔離

されてしまったり。

 家族が家で面倒を見られなくなると、精神科病院や老人病院に預

けられました。しかし医療上の治癒は望めないため、ベッドの上で、

手や腰を縛られたまま寝かされているだけ。

 隔離と収容と拘束。そういう時代でした。

(125p)

  

 1970年代、80年代当時は、家族が認知症になっても誰にも

いえない、ましてやご近所には絶対にいえないというのが普通で、

ご本人はもちろん、ご家族の方もたいへんだったと思います。治療

薬がなく、医療は役に立つことができない。介護も、ケアの仕方も

まったくわからないという時代でした。

(127p)

  

たいへんな時代だったとうっすらと思い出します。

私の身の回りに認知症(当時は痴呆と呼ばれました)の

人がいなかったため、実感はありません。

長寿社会になってきて、世間がだんだん認知症を受け入れてきて、

今に至っているのだと思います。

私自身も、この数年で、

父親の認知症に慣れてきた感があります。

最初は焦りました。

でも今は自然です。

長谷川さんが言うように、父親は連続しています。

認知症になってがらッと変わったわけではないのです。

  

   

 認知症のケアを振り返ると、2000年に介護保険制度が始まっ

たのは、やはり、とても大きな出来事だったと思います。高齢者の

介護は家族だけの問題ではなく、社会全体の問題だとはっきりいっ

たわけですから。「介護の社会化」です。

(133p)

  

この制度のおかげで、私は復職できたと思っています。

時代に助けてもらいました。助けてもらっています。

  

  

つづく  

  

  

  

  

 

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