「避けられた戦争」③ ウィルソンの思い 国際連盟
今日は令和2年8月2日。
前記事に引き続き、
「避けられた戦争 1920年代・日本の選択」
(油井大三郎著/ちくま新書)より引用します。
ウィルソンは、南北戦争で大きな被害を受けた南部の出身者で、
身近に多くの戦争犠牲者がいた。南北戦争は内戦であり、親族や友
人が南北に分かれて戦った悲惨な戦争であった。戦死者が米国史上
最大の62万人にも達しただけに、米国国民の間では二度と繰り返
してはいけない戦争として語り継がれている。そのような南北戦争
を少年時代に目撃したウィルソンは、国際仲裁裁判所の設置などに
よって紛争を平和的に処理することを要求する米国平和協会に19
08年以来所属していた。(中略)第一次世界大戦の体験は、ウィ
ルソンに一層戦争の悲惨さを実感させたのであり、戦後世界に平和
を実現する中核として国際連盟の設立を構想したのであった。
(31p)
ウィルソンアメリカ大統領には、このような体験があったのですね。
政治家もこのような純粋な思いをもつのだと、
最近の政治家の行動に辟易していたので、
驚きでした。
大事な時にウイルソンは、
インフルエンザに罹患してしまい、
ドイツへの対応がおざなりになってしまい、
ドイツは多くの賠償金を支払うことになってしまいます。
(磯田道史さんが以前番組で語っていました)
そのことが、第二次世界大戦につながります。
ウィルソンの思いが実現しなくて残念です。
結局、ヴェルサイユ条約は、1919年6月、約半年の交渉の末
に調印された。ウィルソンの悲願であった国際連盟規約が承認され
たことは新外交の勝利だったが、同時に、ドイツだけに戦争責任が
課せられ、様々な軍備制限や賞金ではなく、賠償と名を変えて「天
文学的な賠償金」がドイツに課されたのは、明らかに旧外交の継続
であった。つまり、実際の講和条約は、ウィルソンが新外交を提唱
したにもかかわらず、英仏日が旧外交にこだわったため、新外交と
旧外交の並存という結果になった。
(41p)
このドイツから、ヒトラーが誕生します。
ヴェルサイユ講和会議において日本が山東問題で米国から厳しく
批判されたり、日本が提案した人種平等条項が否決されたとの報道
が流れると、日本国内では日米開戦を唱道する小説や研究書が出版
され、よく売れる現象が発生した。中でも樋口麗陽(れいよう)が
1920年に刊行した『小説日米戦争未来記』では、移民問題と「
シナ問題」の対立から20世紀末に日米が開戦に至るという筋書き
を小説仕立てで書いていた。
(51p)
この後、この小説のあらすじが紹介されていますが、省略。
日米の争いは他の国も巻き込んで第二次世界大戦となります。
日本は劣勢になりますが、ある博士の発明により挽回。
中立国の斡旋で講和が実現し、戦争は終結します。
フィクションとして書かれたにせよ、日米開戦を予言する本が
1920年という早い時点の日本でベストセラーになったことの
意味を考える必要がある。それは、当時の多くの日本人にとって
は、第一次世界大戦の体験が、二度と繰り返してはならない悲劇
の体験としてより、戦勝で獲得した利権を奪われた悔しい体験と
して受け止められていたことを意味しているのだろう。
(54p)
100年前の大衆の思いを想像します。
日中戦争と太平洋戦争で多大な犠牲者を出したことを
知っている身としては、戦争をやらない方向に行ってほしいと
思いますが、当時の大衆はそうは思わなかったのでしょう。
難しいです。
この本でも、戦争をすることは愚かなこと、
満州の権益は手放した方がよいと考えていた人たちも
紹介されていますが、日本は戦争に向かってしまいます。
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