「人間」/僕が頑張って、頑張って、今の生き方を突き詰めていった先に、両親はいない
今日は令和2年6月27日。
昨日読んだYahoo!ニュースで気になったのはこれ。☟
※ピース・又吉直樹「作家と芸人、二つの道。憧れていた親とは違う生き方を選んで」(婦人公論.JP)
又吉さんがインタビューに答えています。
※ここでも道草 「人間」 覚えているのは頻繁にその日のことを思い出していたから(2020年5月13日投稿)
以前に読んだ又吉さんの著作「人間」に関する文章を引用します。
3作目にして初の長篇小説となった『人間』では、自分の持ってい
る記憶や、残しておきたいことをできるだけ書いてしまおうと考え
ていました。『火花』と『劇場』は、自分といかに距離を置いて書
くかに注意を払いましたが、『人間』では明らかに意識して私小説
を書こうと試みた。 この小説の主人公である、漫画家になる夢を見
るも挫折した38歳の永山と、彼と青春時代をともにした友人・影
島は、どちらも僕自身を投影して描いた人物です。彼らは、過ぎ去
った時間を現在の自分の視点で振り返りながら、才能、成功、世間
の評価について思考を巡らせます。 『人間』を書き上げ、僕自身は、
芸人としてもっと売れたい、認められたいというような、社会の価
値基準の中で上昇していかなければという観念から解放されました。
まあ、認められてない人でもおもろい人はいるし、認められている
人でもおもろない人もいる。お笑いも小説も好きでやっているのだ
から、認められなかったら絶望、ということではないと思うように
なりました。
そんなふうに思えるようになったきっかけのひとつは、僕自身のル
ーツを振り返ってみたことでした。『人間』の終盤には、永山が自
分の両親に会うために沖縄へ向かう場面が出てきますが、永山と家
族とのやり取りは、ほぼ自分自身の経験です。 僕の両親は、すごく
楽しそうなんですよ。子どもの頃から、僕はおとんみたいに素直に
なられへん、おかんみたいに人に優しくできひんと思っていました。
父親は酔っ払って警察のお世話になるようなアホなところもあるけ
れど、それも人間らしくていいなーと思うんです。 僕はちょっと屈
折しているから、それを生かしたいと思って上京して東京で芸人に
なって、小説を書いたりもしている。表現欲求に駆られ、書きたい
から書いているんですけど、当然さまざまな批評に触れて、常に自
分が審査されているという感覚があります。自分を奮い立たせて頑
張っているところもある。
でも、僕が頑張って、頑張って、今の生き方を突き詰めていった先
に、両親はいないんです。僕が尊敬する、他人の評価なんか気にし
ないありのままの両親のような存在に、僕は永遠にたどり着かない。
だったら、そこまでして頑張らなくても、好きなことを好きなよう
にやればいいんじゃないかと、肩の力が抜けました。
「人間」の終盤は、いかにも又吉さんの主人公が、
沖縄の田舎にある実家に戻り生活をします。
なぜ唐突に沖縄に来たのだろう。
そして沖縄での日々にかなりのページ数が割かれます。
前中盤に関西の街でかかわった登場した人物たちは、
終盤には出てきませんでした。
その意図は、今回のインタビューですこしわかった気になりました、
前中盤とは、なんとなく関連がない状況が語られていると
思っていました。
『人間』を書き上げ、僕自身は、芸人としてもっと売れたい、認め
られたいというような、社会の価値基準の中で上昇していかなけれ
ばという観念から解放されました。まあ、認められてない人でもお
もろい人はいるし、認められている人でもおもろない人もいる。お
笑いも小説も好きでやっているのだから、認められなかったら絶望、
ということではないと思うようになりました。
私も共感します。
世の中には知られていないけど、
すごい人はいるんだなと思います。
突然いろいろな場所を訪れる番組、
たとえば「鶴瓶の家族に乾杯」とか見ると、
訪れた先々ですごいなあと思う人に出会います。
そういうものだと思うのです。
日本だけでも1億2500万人以上の人がいるわけで、
世の中に知られないすごい人が
じつはうじゃうじゃいます。
又吉さんが言うように、好きなことをやっている、
やりたいことをやっている人生が、
きっと楽しいのです。
他人の評価を気にしないというのはなかなか難しいけど、
昔よりはそう思えるようになってきた気がします。
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