再読「明治・大正 日本人の意外な常識」② 混浴の習慣を無くすまでに30年かかった
今日は令和2年5月14日。
前記事に引き続いて、
「明治・大正 日本人の意外な常識」(後藤寿一監修/実業の日本社)
より引用します。
銭湯といえば、番台を挟んで男湯、女湯に仕切られた構造が特徴
だが、明治時代の銭湯では男湯と女湯は分かれていないのが普通だ
った。
(36p)
混浴が当たり前だったのですね。
それでも西洋人と付き合わないといけないので、
混浴を取りやめようとしました。
簡単ではありませんでした。
1969年(明治2年)、東京府内すべての銭湯に混浴が禁じら
れた。しかし政府の目の届かない地域ではなかなか実施されなかっ
た。行政の指導通りの施設にするには費用がかさみ、完全に男女を
分けた設備が整わなかったからだ。
再三の混浴禁止令や浴場施設の制定が行なわれ、ようやく1900
年(明治33年)5月24日の内務省令で12歳以上の男女混浴を
厳しく禁じられた頃に「男風呂」「女風呂」の設備が整った。それ
までの混浴という習慣を無くすまでに開国から30年以上かかった
ことになる。
(38~39p)
習慣とはすごいものです。
明治前半は、「男女混浴」が当たり前だったんだ。
常識なんて、時代で変わりますね。
今では学校給食でお馴染みの牛乳だが、日本における牛乳の歴史
は明治に始まったといっても過言ではない。古来日本では牛乳を飲
む文化はなく、「無乳文化圏」といわれていたからだ。
(中略) ところが幕末から明治にかけて、習慣的に牛乳を飲んで
いる外国人が日本に居住するようになったことから、乳業が誕生す
る。牛乳の栄養価の高さに目をつけた明治政府が、国民の栄養向上
のため1871年(明治4年)に乳牛の輸入を許可し、牛馬会社を
設立。牛乳の生産をはじめた。
(53~54p)
乳業に従事した人たちは、
明治維新で禄を失った元サムライたちでした。
人々は牛乳を飲む習慣がなかったことに加えて、牛乳は高価であ
くまでも健康食品、または母乳の代用品とみなされたことで、一般
の飲料としてなかなか普及しなかった。しかし、1894年(明治
27年)の日清戦争で傷病兵が牛乳を飲んで元気になったことから
急速に普及、士族たちのアイデアが実って牛乳販売は飛躍的な発展
をみせる。
じつは最近でも見られる牛乳宅配制度のシステムは、乳業に携わ
る士族たちが牛乳販売の拡大を狙って考え出したもの。この宅配は、
牛乳を買いに出かけなくても新鮮な牛乳を毎日家で飲めるとあって
販売拡大を後押ししたようだ。
今日まで続く日本の牛乳文化を浸透させたのは、士族の商法の発
想によるものだったのである。
(54~55p)
思い出します。
毎朝我が家には牛乳箱が玄関先にあり、
毎朝牛乳が2本届いていました。
よく冷えた牛乳でした。
毎朝、新聞と牛乳を家に取り込んでいました。
あれは明治時代の名残だったのですね。
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