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2020年4月14日 (火)

「歴史秘話ヒストリー 東大寺 七重塔」を見る

 

今日は令和2年4月13日。

  

先日、「ETV特集  緊急会談 パンデミックが変える社会

をまとめたやり方が、自分でも気に入りました。

写真なし、聞き書き最小限のやり方。

  

2017年1月3日放映の「歴史秘話ヒストリア 古代ミステリー

東大寺 七重塔」を見ました。3年前の番組。

大事なことを書き留めます。

  

〇東大寺大仏殿、大仏、そして七重塔建立を命じたのは聖武天皇。

〇七重塔は高さ100mあったと記録に残っている。

 (高さ70mだったという説もある)

 現在最も高い五重塔は東寺のもの。55m。

〇1180年の源平合戦の時に、七重塔は消失。

 その後再建されたが、雷が落ちて消失。それから600年が経つ。

 

※ということは、1417年頃。室町時代ですね。

  

〇現在の東大寺大仏殿の中に、七重塔の模型が作られている。

 明治時代に作られたもの。

 問題点がある。その形で、高さ100mのものを造ったら、

 瓦などの荷重によって、七重塔は崩壊するそうだ。

  

〇七重塔の痕跡を調査している。

 塔の中心に立つ柱は「心柱(しんばしら)」と呼ばれる。

 「心柱」の下に敷く石を「心礎(しんそ)」と呼ばれる。

 心礎を抜きとった跡が発見される。直径4.5m。巨大。

  

〇「生きている」・・・考古学者にとって、

 その遺跡が昔のままの場所にあることをさす言葉。

 「生きている」階段の遺跡から、七重塔の1階部分の柱の数は

 1辺6本の合計36本。五重塔の倍以上。

   

  

〇唐から届いた豪華な経典が、七重塔の宝珠の中に納められていた。

 

〇同じ頃に作られた元興寺(げんこうじ)五重小塔

 高さ5m50㎝。同じ建て方をすると、七重塔は70m。

  

〇法隆寺の五重搭。五重といいながら、屋根を数えると6。

 1階部分を覆う「裳階(もこし)」があるから。

 七重塔が100mあったとすると、1階部分に安定のために

 裳階が備えられていた可能性がある。   

  

以上です。

番組では、大仏殿が左右に七重塔を配している景色が

CGで再現されていました。

昔はこんなのが本当に立っていたんだと想像することは

とっても楽しい。

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