「星ちりばめたる旗」を読む② 「せつない」という日本語
今日は令和2年3月17日。
前記事に引き続き、
「星ちりばめたる旗」(小手鞠るい著/ポプラ社)
より引用します。
当時、私の気に入っていた言葉のひとつに「せつない」という日本
語があった。「アイム・サッド」でも「アイ・ミス・ユー」でも「
アイ・フィール・ブルー」でもない、曰く言い難い微妙な感情が「
せつない」という言葉で言い切れてしまう。好き、でもなく、愛し
ている、でもなく、でも恋しくてたまらない、というような気持ち。
彼に会って、楽しい時間を過ごしたあと、彼と別れるときにはいつ
も「私はせつない」と、日本語で思っていた。
(81p)
これも日系アメリカ人3世の思いです。
日系アメリカ人1世の大原幹三郎は、
マスクメロンづくりに挑戦していました。
サンダーストームに備えて材木で補強しておいた入り口の戸をあけ
て、幹三郎はハウス内に足を踏み入れた。その瞬間、もわっとした
南国の空気に包まれる。常夏の空気を胸いっぱい吸い込むと、微か
ではあるけれど、微妙に鋭い、神秘的な香りに鼻腔をくすぐられる。
「はぁ、ええ匂いじゃ」
思わず知らず、ひとりごとがこぼれ落ちる。
この匂いをいったい、何にたとえたらいいのか。いつ嗅いでも、幹
三郎にはわからない。書物を読んで知識を得た佳乃の話によれば「
マスクメロンの『マスク』には、麝香(じゃこう)という意味があ
るそうです」ということらしいが、そもそも麝香とは、どんな香り
なのか。
「それは、おまえらの、この香(かぐわ)しい匂いなんよなぁ」
天国の香りかもしれない、などと思いながら、幹三郎は腰を曲げ、
手塩にかけて育て上げた苗木たちに話しかける。
(93~94p)
この文章も、以前の知識と結びつきました。
私も麝香の香りがわかっていません。
参考:ここでも道草 日めくりより/「マスクメロン」の「マスク」の由来(2019年6月19日投稿)
玄関から前庭に張り出しているポーチで、大原佳乃は、お気に入り
の揺り椅子に腰を沈めて、お気に入りの江戸川乱歩を読んでいる。
好きな作家は、ほかにもいる。内田百閒、長谷川如是閑(にょぜか
ん)、谷崎潤一郎、稲垣足穂(たるほ)、佐藤春夫・・・・ほかに
もまだまだ。育児、家事、畑仕事の手伝い、近所づきあい。体がい
くつあっても、時間がどれだけあっても足りないと思えるほど忙し
い日常のなかで、わずかな暇を見つけては、佳乃は活字の世界ーー
海かもしれないーーに身を浸す。作家の言葉によって創られた、こ
の世に存在しない人間の、実際には存在しない人生の物語を読むこ
とによって、なぜ、こんなにも心が豊かになり、現実の人生まで生
き生きとするのか。佳乃には不思議でならない。
(104p)
昨日、中学校の図書館に入り、この本を開いたおかげで、
今朝まで私の頭の中は、20世紀初頭から太平洋戦争中の
在米日系人の生活に染まっていました。
裸一貫、ふんどし一丁でアメリカに渡ったのは1904年の春。弱
冠17歳だった日本男子が、苦行にも似た船旅の果てに、栄養不足
のために霞んだ視界にアメリカ大陸をとらえてから26年が過ぎ、
いわゆる棄民ーー国内におけ人口膨張を緩和するために、当時の日
本政府は主に地方の農村の男子を対象として、アメリカへの移民を
奨励していたーーに過ぎなかった男が、アメリカで成功した移民一
世となって家族を引き連れ、故国にもどってきたのである。これが
凱旋でなくてなんだろう。
(140~141p)
明治時代以降の日本の人口急増のため、
諸外国への移民が奨励されたようです。
今の日本にはない状態です。
つづく
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