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2020年2月13日 (木)

「明日をさがす旅」③ フェンスを作るハンガリー/セントルイス号入国拒否

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事の続きで、

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/さくまゆみこ訳/福音館書店)

より、印象に残った文章を引用します。

  

  

シリア人で難民のマフムードと家族は

セルビアまでやってきました。

セルビアから、ハンガリー、オーストリアを経由して

ドイツを目指します。

しかし、ハンガリーに入ることは難しかった。

  

ハンガリーが、国境にフェンスを張りめぐらせていたからだ。

フェンスはまだすっかりできあがっていなくて、夜になると、

ハンガリー兵が国境ぞいの地面に高さ4メートルの金属製の

ポールをつき立て、その間に金網を張る作業をけんめいに行

っていた。金網を張り終わると、別のグループがやってきて、

かみそりの刃のようなものがついたワイヤーのコイルを三段

にとりつける。フェンスをのぼることができないようにする

ためだ。

(306p)  

 

高さといい、念の入ったコイルの設置の仕方を見ると、

難民を受け入れないこと意思がわかります。 

 

この点についても「著者あとがき」で次のように書いています。

  

(難民が)EU(欧州連合)にたどり着いたとしても、難民

を望まない国や、莫大な難民の流入に資金的に対応しきれな

い国では、迫害を受けたり、投獄されたりしました。北上し

ていく中東からの難民をしめ出すためのフェンスを最初に築

いたのはハンガリーです。難民を大歓迎していたオーストリ

アでさえ、2016年にはフェンスの建設を開始しています。

(406~407p)

  

  

あまりに難民が多く、慈善による受け入れオーバーをしてしまい、

問題化しています。

日本人にとって、難民問題は身近ではありません。

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち」は、

生徒だけではなく、大人難民問題に関心を持つ

きっかけになる本だと思います。だからお薦めです。

  

 

ドイツからキューバに逃れようとするユダヤ人のヨーゼフの家族。

キューバからアメリカに逃れようとするイサベルの家族、仲間。

シリアからドイツに逃れようとするマフムードの家族。

時代も場所も違うのに、この3つの話はラストで絡み合います。

新聞記事で「圧巻」と表現していましたが、賛成です。

筋については、明かしません。ぜひ、読んでみてください。

勤務校になかったら、ぜひ買ってほしい本です。

  

「著者あとがき」に、フィクションもとになった話を

一部紹介してくれています。

書き留めます。

  

ヨーゼフもイサベルもマフムードも、架空の人物ですが、彼ら

の物語は、実際にあった事実に基づいて書かれています。

  

セントルイス号は実際にあった船で、1939年に937人の

乗客を乗せて、ナチスが支配するドイツから出航しました。乗

客のほとんど全員が、ナチスの手からのがれようとするユダヤ

人難民で、キューバへの入国を認められるはずでした。キュー

バでずっと暮らそうと思っていた人もいるし、アメリカかカナ

ダが入国を認めるまでの間、一時的にキューバにいようと思っ

ていた人もいました。でも、船がキューバに着いてみると、ユ

ダヤ人たちは上陸を許されなかったのです。理由は政治的なも

のでした。難民たちに入国ビザを発行したキューバの高官は、

当時のキューバ大統領フェデリコ・ブルーに嫌われていました。

ブルー大統領はその高官をこまらせるために、ユダヤ人のビザ

をさかのぼって無効としたのです。ハバナにいたナチスの工作

員も、ユダヤ人を締め出そうとして宣伝活動を行い、キューバ

人が難民たちを嫌うように仕向けていました。ナチスが支配す

るドイツは、ユダヤ人を自国から追放したいと思っていました

が、そればかりではなく、難民たちがほかの国から拒否される

ことも歓迎していました。それがナチスにとって、世界中が、

ドイツのユダヤ人に対するやり方にひそかに賛成している証拠

になると思ったからです。

(394~395p)

  

このセントルイス号のお話は映画化もされています。

「さすらいの航海」(1976年 イギリス)

Wikipedia 「さすらいの航海」

T02000283_0200028311963290464 『シネマ de もんど』 ももじろう2号のブログ

  

「著者あとがき」より引用。

   

セントルイス号のユダヤ人は、キューバに入国できず、

ふたたびヨーロッパに戻ります。

イギリス、フランス、ベルギー、オランダの4国がユダヤ人を

受け入れました。しかし、第2次世界大戦が始まり、

ナチスの手が、再びユダヤ人に迫ります。

  

セントルイス号のユダヤ人難民のうち、イギリスに入国を許可

された人たちは幸運でした。ホロコーストをのがれることがで

きたからです。アメリカのホロコースト記念館の推定によれば、

セントルイス号でヨーロッパ大陸にもどったユダヤ人難民62

0人のうち、254人は、ホロコーストの犠牲になって命を落

としました。

(398p)

つづく

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