「名鉄ディープ」② JR岡崎駅と名鉄東岡崎駅の歴史
今日は令和2年2月7日。
前記事に引き続き、
「名鉄沿線ディープなふしぎ発見」(小林克己著/
じっぴコンパクト新書)より引用します。
この本で、ずっと気になっていたことが解決しました。
JR東海道線岡崎駅が岡崎市街から離れている理由です。
その部分を引用します。
地理学者の青木栄一氏によると、地理的な要因で東海道線のル
ートが決まった可能性があるという。
まず東海道線が、豊橋~岡崎間を旧東海道と並行せず、海沿い
の蒲郡を通るルートにしているのは、その地形に理由がある。
旧東海道ルートでは、豊川と矢作川の分水嶺を越えなければな
らず、十数キロメートル以上にわたり16パーミルほどの急勾
配区間になってしまう。一方、蒲郡を抜ける海岸ルートを選ぶ
と、10パーミル以下の勾配で済む。
(28p)
愛知県以外の人にとっては、よくわからないと思いますが、
ここまででも「なるほど」です。
旧東海道沿いを通らずに、湾曲しているのは
このような理由だったのですね。
海岸を抜けた東海道線は、そこから北上して岡崎方面へ向かう。
しかし赤崎の市街地へ到達せず、南方4キロメートルの地点で
西へ折れて矢作川を渡り安城へ向かう。青木氏によると、ここ
で西へ折れる線形になっているのは、矢作川がポイントだとい
う。現状では、矢作川を越える橋は1本だけだが、もし岡崎市
街地まで到達していたら、乙川も渡る必要が生じ、2本の橋が
必要となる。そこで費用を抑えるために、橋が1本で済む現在
の位置に岡崎駅を置いたということらしい。
(28p)
地図を見ると、矢作川と乙川が合流する直後に橋が作られています。
なるほどなるほどです。
しかし、岡崎市街地の人たちは駅誘致の運動を続けました。
後になって、愛知電気鉄道(後の名鉄名古屋本線)が開通し、
東岡崎駅ができました。
何にでも歴史あり。岡崎駅と東岡崎駅の歴史の勉強ができました。
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