« 「名鉄ディープ」① 「蒲郡」は「かまこおり」だった | メイン | 「名鉄ディープ」③ 名鉄豊川線の歴史/名鉄小坂井支線の痕跡 »

2020年2月 7日 (金)

「名鉄ディープ」② JR岡崎駅と名鉄東岡崎駅の歴史

  

今日は令和2年2月7日。

  

前記事に引き続き、

名鉄沿線ディープなふしぎ発見」(小林克己著/

じっぴコンパクト新書)より引用します。

  

この本で、ずっと気になっていたことが解決しました。

JR東海道線岡崎駅が岡崎市街から離れている理由です。

その部分を引用します。

  

地理学者の青木栄一氏によると、地理的な要因で東海道線のル

ートが決まった可能性があるという。

Epson242

まず東海道線が、豊橋~岡崎間を旧東海道と並行せず、海沿い

の蒲郡を通るルートにしているのは、その地形に理由がある。

旧東海道ルートでは、豊川と矢作川の分水嶺を越えなければな

らず、十数キロメートル以上にわたり16パーミルほどの急勾

配区間になってしまう。一方、蒲郡を抜ける海岸ルートを選ぶ

と、10パーミル以下の勾配で済む。

(28p)  

  

愛知県以外の人にとっては、よくわからないと思いますが、

ここまででも「なるほど」です。

旧東海道沿いを通らずに、湾曲しているのは

このような理由だったのですね。

  

  

海岸を抜けた東海道線は、そこから北上して岡崎方面へ向かう。

しかし赤崎の市街地へ到達せず、南方4キロメートルの地点で

西へ折れて矢作川を渡り安城へ向かう。青木氏によると、ここ

で西へ折れる線形になっているのは、矢作川がポイントだとい

う。現状では、矢作川を越える橋は1本だけだが、もし岡崎市

街地まで到達していたら、乙川も渡る必要が生じ、2本の橋が

必要となる。そこで費用を抑えるために、橋が1本で済む現在

の位置に岡崎駅を置いたということらしい。

(28p)   

   

地図を見ると、矢作川と乙川が合流する直後に橋が作られています。

なるほどなるほどです。

  

  

しかし、岡崎市街地の人たちは駅誘致の運動を続けました。

後になって、愛知電気鉄道(後の名鉄名古屋本線)が開通し、

東岡崎駅ができました。

  

 

何にでも歴史あり。岡崎駅と東岡崎駅の歴史の勉強ができました。

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_7741
  • Img_7740
  • Img_7739
  • Img_7738
  • Img_7737
  • Img_7735
  • Img_7733
  • Img_7732
  • Img_7731
  • Img_7730
  • Img_7729
  • Img_7728

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉