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2020年1月24日 (金)

「山海記」① 現代日本の私小説の名手

  

今日は令和2年1月24日。

  

この本を読破しました。

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山海記(せんがいき)

(佐伯一麦(かずみ)著/講談社)

  

初めて佐伯一麦氏の小説を読み、戸惑ってしまいました。

奈良県の大和八木駅からバスに乗って十津川村へ向かう主人公。

バスから見える情景が詳細に語られているかと思うと、

何かのきっかけにいきなり主人公の過去の体験や、

主人公の知識がどんどん割り込んできます。

そうかと思うと、再びバスの車窓景色や乗り合わせた人のことに

話が戻ります。

空白の行がなく、章立てもなく、ずっと続きます。

(193pで初めて空白の行があり、*印が打たれ、

話は2年跳びます)

上記のアマゾンの解説を読むと「現代日本の私小説の名手」と

ありました。

「私小説」は懐かしい言葉。田山花袋が思い浮かびます。

高校生の時に、これが私小説かと「布団」などを読みました。

そうか、これは著者が実際にバスで旅をして見たこと

思ったことを詳細に書いた私小説なんだと思いました。

虚構がほとんどない小説。主人公は元電気工事関係の仕事を

していたのは虚構かな?と思った程度。

戸惑いつつ読み始めましたが、1/3ほど読んだくらいで

この筆致に慣れてきました。慣れてくると楽しくなり、

タブレット端末でグーグルマップでルートをたどりながら、

一気に読んでしまいました。

  

これも図書館に返す本です。

手元に置いておきたい文章を書き留めます。

  

今回は仕事の合間を縫って四年間続けてきた水辺の災害の記憶

を辿る旅の締めくくりだ、と彼は自身に言い聞かせた。東北の

太平洋沿岸が大地震と大津波に襲われてからというもの、彼は

これまで日本各地で起きた災厄についていかに無知だったかを

思い知らされた。

地震一つ取ってみただけでも、年表をめくると五世紀の416

年に現在の明日香村にあった遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)

で揺れがあったという日本最古の地震の記述が『日本書紀』に

見られるのを皮切りに、599年には大和国で地震があり家屋

が倒壊したという地震被害の最初の記録が見られ、684年に

は南海トラフ巨大地震だったと推定され土佐で津波被害もあっ

たとされる白鳳地震が起きている。九世紀には五年前(201

1年)の大地震との関連がよく指摘される869年の貞観三陸

地震、その十八年後には京都・摂津を中心に多くの死者を出し

津波もあった仁和南海地震があり、十世紀にも京都、山城、近

江には死者が出て高野山の建物が損傷するような地震が何度か

起こり、十一世紀に入ると1096年に東大寺の鐘が落下し伊

勢・駿河で津波があり死者一万人以上と推定される永長東海地

震、その三年後にも興福寺が被害に遭い土佐で津波があり死者

数万と推定される康和南海地震、十二世紀には1185年に法

勝寺や宇治川の橋などが損壊し余震が三カ月近く続き鴨長明が

『方丈記』で詳述した文治京都地震・・・、とそれ以降も枚挙

にいとまがない。

時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千

六百年ほどの間に、死者が出た地震は日本全国でざっと数えた

だけでも百七十回以上も起きており、均(なら)せば少なくと

も十年に一度の勘定にはなると知ると、どういう国土に住んで

いるんだ、と彼は嘆息を洩らした。いっぽうで、曲がりなりに

もそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた者たちの末裔であ

る、という思いも兆した。

(5~6p ※西暦は漢数字を数字にしました)

   

愛知県に住んでいると東海地震、南海トラフ地震と聞くと、

ドキッとします。

著者が言うように、すごい国に住んでいるんだなと思います。

残りの人生で大地震を味わうのか、

息子や娘たちの時代は大丈夫かと思いました。

  

  

つづく

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