「脳科学者の母が、認知症になる」/「認知症の第一人者が認知症になった」
今日は令和2年1月16日。
1月15日朝日新聞朝刊に次のような記事がありました。
認知症になっても、母は母のまま
脳科学者の娘 発見つづった本に反響
脳科学者の恩蔵(おんぞう)絢子さん(40)が、認知症にな
った母と暮らす日々を見つめながら、記憶を失ってもその人ら
しさを失われないのかを考察した本「脳科学者の母が、認知症
になる」(河出書房新社)が、静かな反響を呼んでいます。自
分や身近な人が認知症になった時、誰しもが悩む問いを考え続
けた恩蔵さんは、「母らしさ」をどのように見つけたのでしょ
うか。
そして本文に続きます。
本文の一部を引用します。
記憶などの認知機能が低下すると、好き嫌いや何が大事かとい
う母の人格、感情まで変わってしまうのか。母の姿を見るのが
つらく、恩蔵さんは気持ちをはき出そうと日記をつけ始めた。
「『母らしさ』って何だろう」。次第に、娘として、研究者と
して、脳科学の視点から「認知症の人の、その人らしさ」はど
う説明できるのかを、母のそばで考えたいと思うようになった。
認知症であってもその人らしさはあり、本人を尊重し、本人の
立場に立って考えて接するケアが重要であることが知られてい
る。脳科学から見たら?
(中略)
これまで日々から「『その人らしさ』は、記憶や判断にかかわ
る認知機能がつくるその人らしさと、より根本的な感情からく
るその人らしさの二つに分かれるのではないか」という仮説を
得た。
私の父親の場合、数年前から物覚えが悪くなり、
日付や曜日があいまいになり、
家族の名前を間違えたりし始めました。
忘れていくことに焦りを覚え、病院に連れていって
診てもらったりしました。
認知症と診断され、薬も飲むようになりました。
現在は、物忘れで焦りはなく、平成20年に亡くなった
母親の所在を毎日のように尋ねるので、
「もう11年前に亡くなっただよ」「今は天国にいるよ」
と答え、「そうだったかなあ。死んじゃったか」
といった会話をしています。
今、心配しているのは、「父親らしさ」です。
記憶がなくなっていくことで、「父親らしさ」がなくなって、
別の人格になってしまったらどうしようという不安です。
父親が家で寝るときには、10分ほど添い寝をするのが
習慣になっています。
布団の中でたわいのないことを話しています。
「明日は(デイサービスに)行かにゃあいかんか」
「そうだね、行ってよ」
「朝、何時に迎えに来るだったか」
「8時だよ」
「何時に起こしてくれるんだ」
「6時半だよ」
「着ていく服はお前が用意してくれるんだよな」
「大丈夫、朝、着替えさせてあげるよ」
時々いたずらで、父親の鼻をつまんだりすると、
「お前はすぐにそういういらぬことをする」と叱られます。
そんなことをして「父親らしさ」を
味わっているのかもしれません。
恩蔵さんの記事の最後にはこう書いてありました。
「『認知症になっても、母は母のまま』という発見は、
私の支えになっています」
いろいろなことを忘れてしまうのはしょうがない。
でも最後まで「父親らしい」父親であってほしいと自分も思います。
実はこのことは、1月12日放映の
「認知症の第一人者が認知症になった」という番組でも
同じような思いの方がいました。
長谷川さんは精神科医であって、認知症治療の第一人者です。
「痴呆」と呼ばれていた病名を「認知症」としたのも
長谷川さんの功績でした。
その認知症の第一人者が、認知症と診断されてからの日々の
ドキュメンタリー番組です。
お世話している娘さんの言葉が印象に残りました。
父親が認知症になっても、人柄が変わっていないと言うのです。
娘さんは「人格」と表現しましたが、
「らしさ」と同義だと思います。
親が物忘れをして、親が変わっていってしまうことが
ショックでしたが、中心となる「らしさ」を見つけると
ホッとします。
私にとっての添い寝の10分間は、
自分が安心したいんだろうなあ。
添い寝していると、
父親がププッとおならをすることがあります。
父親は「おならが出ちゃった」と正直に言います。
「ええ、参ったなあ」
「わざとじゃないんだよ。出ちゃうんだ」
「そうだよね、じゃあ、俺は行くね」
「わかった、明日の朝は6時半、頼むな」
こんな会話をして、私は父親の布団から出ます。
けっこう楽しいです。
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