小説「出口のない海」⑤回天隊という紛れもない現実の中にいる
今日は令和元年12月10日。
前投稿に引き続いて「出口のない海」 (横山秀夫著/講談社)
から引用します。
ただ、まだ「出口のない海」を読んだことなくて、これから読
んでみたいと思っているのでしたら、私のブログを読むのを止
めた方がいいです。今から出撃シーンが出てきます。手に汗を
握る展開です。どうなるんだ!とドキドキします。すごい小説
なのです。私のブログを読んで、筋が見えてから読むとそこん
ところが楽しめません。止めましょう。
並木は聞いてみたくなった。
「沖田ーーーお前、早く出撃したいか」
真顔が向いた。
「もちろんです。明日行けと言われれば喜んで行きます」
「明日でもか」
「ええ。早ければ早いほうがいいです。それに、このままじゃ、
姉たちだって殺されてしまいますからね」
「ん。そうだな・・・・」
死ぬのは怖くないのか。喉まで出かかった質問を並木は呑み込
んだ。どれほど打ち解けても、それだけは言えない。たった一
つ存在する特攻隊基地のタブーだ。
(159p)
「死ぬのは怖くないのか」を言えない状態が続く生活。辛いか
ったろうなと思います。
歩数で測った線まで離れる。振り向いて、ポケットから寄せ書
きのボールを取り出す。親指と人差し指の間に挟み込む。
サイドスローからボールを送り出した。
ボッ。毛布がへこむ。
ボールを取りに行き、線まで戻り、また投げる。
ボッ。
死を覚悟した。自棄(やけ)っぱちに流れる時間も過ぎ去った。
しかし、だからといって送別会で流したあの涙が自分の本心だ
ろうか。
心静かに、そしてお国のためにと、喜んで死ねるだろうか。
ボッ。
送別会の涙は乾いていた。夢の中の出来事のように思える。
本当に死ぬのが恐くないのか。みんな、本当にそうなのか。
俺だけなのか・・・・。俺だけが生きることに未練を持ってい
るのか。
ボッ。
わかっている。もう生きることを考えてはいけない。確実な死
が約束されているのだから。
明日に夢を持ってはいけない。その夢はどう足掻(あが)いて
も実現できないのだから。
でも・・・・。
魔球を完成させたい。完成させてから死にたい。ちっぽけなこ
とでいい。自分がこの世に生きていたという証を残したい。
ボッ。
ーーーいいだろ、それぐらい・・・。
(164~165p)
先に出撃するの隊員たちの送別会に出席した並木は、
隊員たちの清々しい顔に感動して涙します。
その後の、シーンです。映画でもあったけな。
本当に上手な文章表現だと思います。
アプリ「OCR」を使えば、文章を写真に撮って、文字化でき
ます。でも、一字ずつうっていきたい文章なので、OCRを使
っていません。一字ずつうった方が、身になるという古い考え
の持ち主です。それと、労力がかかるので、本当に残したい文
章を精選できます。
並木も佐久間も回天隊という紛れもない現実の中にいる。恐い、
とひと言漏らしたら終わりなのだ。死にたくないと人に縋(す
が)ったら、もうこの現実の中にいられなくなってしまうのだ。
たとえ、地球上にどれほど自由で愉快で希望に溢れた世界があ
るのだとしても、たった今、ここに回天隊は存在し、並木も佐
久間もその只中にいる。男なら喜んで死ねという世界で、寝起
きし、飯を食い、息をしている。
(185p)
この文章を読んで思い出したのが、堀川城(浜松)を家康に攻
められて自害した土豪、山村修理の辞世の句。
※ここでも道草 「直虎紀行」/堀川城跡 山村修理の辞世の句(2018年1月21日投稿)
「安穏に、くらせる人は、幸せよ」
世の中には安穏と暮らしている人はいるが、
今の自分は死ぬしかないことを言っていると思います。
それが現実。
それは運命なのでしょうか。
そこに至るまでは、自分で決断してきた積み重ねのはずですが、
死を目前とすると、こう思うだろうなと思います。
出撃の朝は明けた。微風。快晴。(中略)
美奈子がくれた千人針は行李の中に残した。弾に当たらぬお守
りは必要ない。自分自身がその弾なのだ。
部屋を出る時、誰かに呼ばれたような気がして振り返った。も
う二度と見ることのない空っぽの部屋が、故郷の景色のように
懐かしく感じられた。
(218p)
「誰かに呼ばれたような気がして振り返った」
こんな体験したよなあということを文章化してしまっています。
つづく
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