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2018年1月21日 (日)

「直虎紀行」/堀川城跡 山村修理の辞世の句

 

今日は1月21日。

  

昨年8月27日に放映された「おんな城主 直虎 34 隠し港の龍雲丸」より。

  

この時の「直虎紀行」を読み物にします。

ナレーターの言葉を聞き書きします。

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浜名湖の北。田園風景が広がるこの地に、

堀川城がありました。

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永禄12年。遠江(とおとうみ)制圧遠江制圧を狙う徳川家康は、

この城を攻めます。

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抵抗する今川方の土豪たちは村人たちとともに、城に立てこもります。

しかし、わずか1日で落城。多くの命が失われました。

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村人たちを先導していた土豪の一人、山村修理(しゅり)は、城から脱出。

小高い丘の上から燃え落ちる城を見て、自害したと伝わっています。

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堀川城の北に、地元の人たちに大切に守られてきた供養塔があります。

捕虜となった人々がのちに処刑された場所です。

ここには多くの首がさらされ、獄門畷(なわて)と呼ばれました。

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当時の住民の半数が犠牲になったともいわれる堀川城の戦い。

今も人々の心に忘れられない記憶として刻まれているのです。

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徳川家康が気賀にあった堀川城を攻めたことは全く知らないことでした。

おんな城主 直虎」を見たことで知りました。

無残な戦いだったようです。

とても興味をもちました。

  

 

山村修理の辞世の句が次のサイトで紹介されていました。

戦国武将列伝Ω 山村修理と竹田高正の堀川城の話と~堀江城での中安兵部も

  

「安穏に、くらせる人は、幸せよ」

  

死ぬ時の素直な気持ちだったと思います。

無念な死だったと想像します。

 

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