激戦地ペリリュー島「最後の生還者」逝く
今日は令和元年12月13日。
ペリリューに関する記事に出合いました。
後で示しますが、このブログで「ペリリュー」を書いた最後は
いつなのか調べました。
※ここでも道草 「上皇」は「太上天皇」の略称(2017年5月8日投稿)
☝ この記事がラストでした。2年半ぶりです。
これを機会に、この記事を読み直し、さらに2015年の記事
を読みました。こうやって、機会あるごとに読み直すことで、
記憶にとどまっていくのだと思います。
書いただけでなく、読み直すことが重要だと思うこの頃です。
2015年の記事で名前を載せた永井敬司さん。
※ここでも道草 ペリリュー島に関するニュース(2015年4月9日投稿)
※ここでも道草 ペリリュー島に関するニュース2/両陛下の9日の動き(2015年4月11日投稿)
ペリリュー島での激戦、最後の生還者であった永井さんが亡く
なったという記事です。12月11日の朝日新聞夕刊です。
(読むときはクリックして拡大してください)
一部引用します。
部隊がほぼ全滅した後も、永井さんはマングローブの木の上に組
んだやぐらに仲間と身を潜めた。ゴミ捨て場で、英語ができる仲
間が何か印刷物を見つけた。「日本が降伏したらしい」。だが、
確認はできず、1947年5月になってようやく、33人の戦友
とともに日本に戻った。
あらためて、ペリリュー島で戦った人たちの終戦は、1945年
ではなくて、2年後であったことを再確認しました。
戦争はダメです。
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