教育先進国と日本の違い②競争か自己目標達成か
今日は令和元年11月16日。
前投稿に続いて
11月14日放映の「羽鳥慎一モーニングショー」より。
玉川徹さんと玉川大学大学院田坂広志名誉教授との対談です。
田川:では2つ目というのは何ですか?
田坂:2つ目はですね、競争か自己目標かという大きな
分かれ道ですね。
日本という国はとにかく競争させれば学力は上がるんだと思っている
わけです。ところがOECDの研究結果でも出てるんですけれども、
競争を高めたからといって、必ずしも学生、生徒全体の学力は
上がらないという結果が出ているんですね。
玉川:上がらないんですか?
田坂:上がらない。
競争を激しくすれば、全体の学力が上がるというのは幻想です。
ここでスウェーデンの事例が紹介されます。
1991年~1994年の5年間、スウェーデンでは、教育現場に
競争原理を採用しました。その結果、総合読解力などの学力が
低下したという説明でした。
ただ、競争原理を採用した学年、到達度調査をした学年が明示されて
いません。因果関係があるのかはこの2つのグラフからは不明だと
思います。
田坂:もちろん競争を徹底的にやると、ごく一部の勝ち組といわれる
人たちは、学力が上がりますよ。学力が上がるから勝ち組になれる
わけですけれども。ところが一方で、この競争ばかりを
激しくやると、そこから勝ち残れなかった人たちは、
自己肯定感が無くなるんですね。
田川:もう負け組になってしまったら、俺はもうダメだと思って
しまうという。
田坂:したがって、学習意欲もなくなるし、自分の中に眠っている
素晴らしい可能性を開花しようとする気持ちもなくなる。
そういう意味では競争を激しくすれば、全体の学力が上がるのは
幻想です。
田川:勉強が嫌いではなかったという人たちに、何か共通点があるのか
というのは自分なりに調べたんですね。そしたら小さい頃から
何か学びのタネがあったりして、そういうものを親が、
ちゃんと見つけてあげて、そこで学びがあると褒めてあげるという
ふうなことを繰り返すと、成功体験になって自己肯定感が生まれる
んですね。勉強は楽しいものなんだと思えるようになる。そうなると
勝手に自分で勉強する軌道に入っていけるんですね。
田坂:そうですね。負け組みたいな構造を作るのではなくて、誰もが
自分の目標を持ってそこに向かって成長していけるという文化に
戻ってくるべきだと思うんですね。
ここでナレーションが入りました。
自己目標の達成を目指す教育では、生徒に合わせた指導が必要になります。
田坂氏は、そのためには教師のレベルの高さが重要になると
指摘しています。
田坂:教育先進国というのは、例えばフィンランドの場合でいえば、
教師になるためには、修士の資格が必要なんですね。しかも、
教育哲学や教育思想からもしっかりと学んで、いわば教育の
プロとして社会に出るわけですね。それがゆえに逆に国民から
見れば、教育、教師というのは尊敬される職業であり、
田川:なるほど。
田坂:若者から見ると、やっぱり自分もなってみたい職業なんですね。
田川:憧れの職業。
田坂:憧れの職業。何年か前にフィンランドでは、600人の教師の
募集に対して、6000人が応募したというくらい非常に
人気があるわけです。日本も教育というものが、もともと
非常に大切な仕事ですし、それに携わる方々がもっと本当に
子どもたちもしくは生徒、学生の教育に時間がさける、
自身の教育者としての能力も高めていけるような仕組みを
作らないと、やはり先進国にはかなわないと思います。
ここでグラフが提示されました。
雑務に追われて、生徒指導の時間を十分にとれない教師。
ブラック企業のイメージがあり、採用試験の競争率は低下の一途です。
教育先進国と日本との違いの3つ目は、次の記事で書きます。
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