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2019年10月 8日 (火)

「中間貯蔵施設に消えたふるさと」②/50年梨を育てた鎌田さん

 

今日は令和元年10月8日。

  

前投稿に引き続き、9月14日放映の

ETV特集 中間貯蔵施設に消えるふるさと

~福島 原発の町で何が~」より。

  

〇国に土地を売却したり、地上権契約をしたりした人たちに土地では、

 建物の撤去などが行われている。

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〇この地で積み重ねられてきた人間の営みがなかったことには

 したくないという思いは住民にはある。

   

鎌田清衛さん。77歳。

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 22歳の時に、梨を大熊町の特産品にしたいと一念発起して

 原野を切り開き、梨の苗木を1本1本植えていった。

 50年かけて100本まで増やした。

 牡蠣殻(かきがら)を肥料に使ったり、無農薬で栽培するなど

 工夫をした。

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〇2011年の震災で帰還困難地域となり栽培はストップ。

 畑は荒れ放題。☟

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〇鎌田さんは、国と地上権契約をする。

 梨の木は切られ、更地となる。☟

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〇そして、汚染物質が置かれた。☟

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50年かけて作り上げてきた梨畑が、

理不尽にも無になってしまったわけです。

無念だと思います。

  

 

〇鎌田さんは複雑な気持ちを語っている。

 原子力は原爆などの武器にもなる恐ろしいもの。

 それが本当に平和利用で大丈夫なのかと不安だった。

 でも、その気持ちを表に出せなかった。

 原発の恩恵を受けていたから。

 梨畑も夫婦2人ではできなくて、周りの人たちの援助で

 成り立っていた。その人たちの中には、原発の従業員の

 家族もいた。

  

〇鎌田さんが、土地を国に売却しなくて、

 地上権契約にしたことについて次のように語っている。

 聞き書き。(少々意訳した)

 

中間貯蔵施設を造るのは、やむを得ないかもしれないが、

それならば我々の意見も聞いてくれ。

それ(土地)を完全に国に売ったら、

自分で口出しできない。

30年、それからまた先は、

その時の世代の人に選択権をある程度残しておきたい。

 

国が本当に約束を守るかどうか確認したい。

自分が無理なら次の世代が確認して、

口出しできるようにしておきたいという思いではないでしょうか。

  

  

〇鎌田さんは、施設が造られる地域の石碑などの拓本を行っている。

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〇壊されたらなくなってしまうもの。

 人間の営みがなかったことにならないようにと願っての行動。

 現在160枚以上ある。

つづく

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