「中間貯蔵施設に消えたふるさと」②/50年梨を育てた鎌田さん
今日は令和元年10月8日。
前投稿に引き続き、9月14日放映の
「ETV特集 中間貯蔵施設に消えるふるさと
~福島 原発の町で何が~」より。
〇国に土地を売却したり、地上権契約をしたりした人たちに土地では、
建物の撤去などが行われている。
〇この地で積み重ねられてきた人間の営みがなかったことには
したくないという思いは住民にはある。
〇鎌田清衛さん。77歳。
22歳の時に、梨を大熊町の特産品にしたいと一念発起して
原野を切り開き、梨の苗木を1本1本植えていった。
50年かけて100本まで増やした。
牡蠣殻(かきがら)を肥料に使ったり、無農薬で栽培するなど
工夫をした。
〇2011年の震災で帰還困難地域となり栽培はストップ。
畑は荒れ放題。☟
〇鎌田さんは、国と地上権契約をする。
梨の木は切られ、更地となる。☟
〇そして、汚染物質が置かれた。☟
50年かけて作り上げてきた梨畑が、
理不尽にも無になってしまったわけです。
無念だと思います。
〇鎌田さんは複雑な気持ちを語っている。
原子力は原爆などの武器にもなる恐ろしいもの。
それが本当に平和利用で大丈夫なのかと不安だった。
でも、その気持ちを表に出せなかった。
原発の恩恵を受けていたから。
梨畑も夫婦2人ではできなくて、周りの人たちの援助で
成り立っていた。その人たちの中には、原発の従業員の
家族もいた。
〇鎌田さんが、土地を国に売却しなくて、
地上権契約にしたことについて次のように語っている。
聞き書き。(少々意訳した)
中間貯蔵施設を造るのは、やむを得ないかもしれないが、
それならば我々の意見も聞いてくれ。
それ(土地)を完全に国に売ったら、
自分で口出しできない。
30年、それからまた先は、
その時の世代の人に選択権をある程度残しておきたい。
国が本当に約束を守るかどうか確認したい。
自分が無理なら次の世代が確認して、
口出しできるようにしておきたいという思いではないでしょうか。
〇鎌田さんは、施設が造られる地域の石碑などの拓本を行っている。
〇壊されたらなくなってしまうもの。
人間の営みがなかったことにならないようにと願っての行動。
現在160枚以上ある。
つづく
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