記事「8月6日 日記は途絶えた」
今日は令和元年8月7日。
地元の豊川市にとっては重要な日。
1945年(昭和20年)の今日、
豊川海軍工廠に爆弾が落とされ、機銃掃射が行われ、
2500人以上の方が亡くなった日です。
74年経っても忘れてはならないことです。
我が家で最も新聞を見るのは父親。
その次は息子、妻、娘の順番だと思います。
大学生の息子は、公務員を目指していて、
そのために必要ということで読んでいるようです。
ほとんど読んでいないのが、私。
そんな私が、父親の机の上に置いてあった新聞記事に目が止まり、
読んで、切り取った記事があります。
8月4日朝日新聞朝刊の一面でした。
29面はここには載せません。
これ以上読みたい方は、朝日新聞DIGITALを見てください。
有料ですが読めます。
「8月6日 日記は途絶えた」という見出しに
目がとまり、ほっておけない記事になりました。
原爆が落ちた前日の記事が心うつ。
延焼を防ぐため事前に家屋を壊す「建物疎開」に
かり出される前日の8月5日には、
家族や親戚で食卓を囲むにぎやかな1日を過ごした。
日記にはこうある。
「『いつも、こんなだったらいいなあ』と思う。
明日から、家屋疎開の整理だ。
一生懸命がんばろうと思う」
翌日、日記は途絶えた。
森脇瑤子さんの日記は1996年に出版されていることを、
記事で知りました。
いつも利用する図書館にはなかったので、
amazonで注文しようとしました。
そしたら、珍しいことにこのような表示が・・・・
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
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商品の代金は発送時に請求いたします。
構わず注文しました。
この記事を読んで、注文をしようとした人が
多かったのでしょう、きっと。
気長に本を待ちます。
最近ほとんど新聞を読まない私が目にした記事。
こういう縁があった記事には、
しつこく付き合っていきたいです。
私のブログはどのような理由で、いつ途絶えるのだろう?
そんなことをふと思いました。
永遠に続くと思って書きつつも、
この記事が最後だとも思って書きたいです。
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