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2019年7月23日 (火)

「英雄たちの選択 人見絹枝」その6/女子チームを率いて参加した第3回万国女子オリンピック

 

今日は令和元年7月23日。

 

前日に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 

目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。

  

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」を見た時に

疑問に思っていたことが、「英雄たちの選択」で

解決しました。

アムステルダムオリンピックで予選で敗退した直後に、

人見絹枝が、800mに出させて下さいと監督に直訴し、

結果、800mに参加して銀メダルを取ります。

そんなに急に出たいと言って参加できるものなのか、

疑問に思っていました。

英雄たちの選択」では、人見絹枝のセリフとして、

次のように表現している。

 

「唯一の女子代表の私は、すべての種目にエントリーしている。」

Rimg2285  

全てにエントリーしているけど、出場するのは100mに絞って

練習してきたのです。

だから800mにも参加する資格があったのです。

 

  

その時歴史が動いた」を記事にまとめた時に、

オリンピック後の人見の夢が、女子チームを率いて

オリンピックに参加することだと書きました。

残念ながら、人見絹枝は24歳で亡くなり、

その夢は果たせませんでした。

しかし、女子チームを率いて国際大会に参加していました。

英雄たちの選択」で紹介されていました。

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ナレーター:人見絹枝のもとに、才能ある5人の少女たちが集まった。

  全員が10代の女学生たちであった。

  1930年9月6日。

  第3回万国女子オリンピックプラハ大会開幕。

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  人見絹枝を先頭に、6人の日本女子選手団が堂々と行進していた。

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  しかし、初めての世界大会で記録が振るわない選手たち。

  このままではいけない。

  人見絹枝は、自身の記録より、

  日本チームとして結果を残すことにこだわった。

  世界記録をもっていた200mを棄権し、

  チーム競技、400mリレーに賭けたのだ。

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  結果は見事4位入賞。人見絹枝の夢が実現した。

  

ずっと1人で戦って来た人見絹枝にとって、

第3回万国女子オリンピックは、

女子チームを率いての参加という夢を一つ実現した瞬間だったのです。

この大会のことは「この時歴史が動いた」では紹介されていなかったので、

ほっとしました。

  

つづく

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