「英雄たちの選択 人見絹枝」その6/女子チームを率いて参加した第3回万国女子オリンピック
今日は令和元年7月23日。
前日に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択
目指せ!”なでしこ”たちの祭典
日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」を見た時に
疑問に思っていたことが、「英雄たちの選択」で
解決しました。
アムステルダムオリンピックで予選で敗退した直後に、
人見絹枝が、800mに出させて下さいと監督に直訴し、
結果、800mに参加して銀メダルを取ります。
そんなに急に出たいと言って参加できるものなのか、
疑問に思っていました。
「英雄たちの選択」では、人見絹枝のセリフとして、
次のように表現している。
「唯一の女子代表の私は、すべての種目にエントリーしている。」
全てにエントリーしているけど、出場するのは100mに絞って
練習してきたのです。
だから800mにも参加する資格があったのです。
「その時歴史が動いた」を記事にまとめた時に、
オリンピック後の人見の夢が、女子チームを率いて
オリンピックに参加することだと書きました。
残念ながら、人見絹枝は24歳で亡くなり、
その夢は果たせませんでした。
しかし、女子チームを率いて国際大会に参加していました。
「英雄たちの選択」で紹介されていました。
ナレーター:人見絹枝のもとに、才能ある5人の少女たちが集まった。
全員が10代の女学生たちであった。
1930年9月6日。
第3回万国女子オリンピックプラハ大会開幕。
人見絹枝を先頭に、6人の日本女子選手団が堂々と行進していた。
しかし、初めての世界大会で記録が振るわない選手たち。
このままではいけない。
人見絹枝は、自身の記録より、
日本チームとして結果を残すことにこだわった。
世界記録をもっていた200mを棄権し、
チーム競技、400mリレーに賭けたのだ。
結果は見事4位入賞。人見絹枝の夢が実現した。
ずっと1人で戦って来た人見絹枝にとって、
第3回万国女子オリンピックは、
女子チームを率いての参加という夢を一つ実現した瞬間だったのです。
この大会のことは「この時歴史が動いた」では紹介されていなかったので、
ほっとしました。
つづく
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