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2019年7月31日 (水)

押入れから出てきた絵葉書で社会科の勉強その1

  

今日は令和元年7月31日。

  

親の押入れの片づけをしていると、

いろいろ出てきます。

親が旅行に行った時に買ってきたと思われる絵葉書が

いくつか出てきました。

捨ててしまおうと思ったけど、

中身を見たら、捨てるのを留まりました。

  

何枚か絵葉書の写真を載せます。

Epson070  

☝ 絵葉書が入っていた袋のデザインです。

国会議事堂はわかりますが、下にある建物が

何かわかりません。

でも、中に入っている絵葉書を見たらわかりました。

  

Epson074  

☝ 連合国総司令部(GHQ)の建物でした。

連合国司令部は、終戦から1952年の4月まで、

日本を統治していました。

この建物を絵葉書の1枚にし、

さらには袋のデザインにもしていたことに、

不思議な気がしました。

今はこの建物はどうなっているのだろう。

建物については、Wikipedia 連合国軍最高司令官総司令部

次のように書いてありました。

 

当初は現在の横浜税関に置かれたが、

後に皇居と東京駅に挟まれた丸ノ内地区一帯のオフィスビルは

その多くが駐留する連合国軍によって接収され、

このうち総司令部本部は第一生命館に置かれた。

マッカーサー用の机は石坂泰三(第一生命社長)のものをそのまま使用した。

第一生命保険側は占領下では第一生命館の接収が免れ得ない事を承知しており、

当時では最新のオフィスビルであった当館を司令部として使う

優位性を説明し採用されたものである。

これは、司令部として使われるのであれば丁寧に使用され

将来の接収解除後は問題なく使用できるであろうことを期待した措置であり、

結果としてその目論見は奏功した。

   

  

したがって、総司令部が撤退後は、

第一生命がビルを使っていたそうです。

その後、このビルは「DNタワー21」という

オフィスビルの一部となっているようです。

※参考:第一生命館

  

こうなったらグーグルアースとストリートビューで迫ります。

ストリートビュー

Photo_2  

戦後は威容を誇っていたと思いますが、

今では、ビル群に埋もれていますね。

でも今でも残っているのが貴重。

内装もだいぶ変わったようですが、

マッカーサー記念室などの6階の一部は

保存されているようです。

  

まだ2枚絵葉書を見せたいけど、

次の記事にします。

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