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2019年6月22日 (土)

「収容所から来た遺書」9/「必ずこの遺書を私の家庭に伝へ給へ」

 

今日は令和元年6月22日。

 

前投稿に引き続き、 

収容所(ラーゲリ)から来た遺書」(辺見じゅん著/文藝春秋)より

引用します。

 

その日遅く作業から帰って病室に駆けつけた新見此助に、

山本は走り書きを渡した。

「死ノウト思ツテモ死ネナイ スベテハ天命デス 

 遺書ハ万一ノ場合ノコト 小生勿論生キントシテ

 闘争シテヰル 希ミハ有ルノデスカラ決シテ

 100%悲観セズヤツテユキマセウ」

赤鉛筆で書かれた字は乱れてあちこちに飛び、

新見には判読するのがようやくだった。

山本(幡男)がこの世に遺した、最後の凄まじい気力によって

書かれたものだった。山本の顔を見ると、小さく頷いてみせた。

新見は涙がこぼれそうになったが、ぐっとこらえた。

そしてベッドの裾に回って、

骨と皮ばかりになった山本の足をさすった。

 

それから十日間、山本はときおり苦痛の呻き声を発するだけで、

朝も夜も、うつらうつらしていた。

1954(昭和29)年8月25日午後1時30分、

収容所の日本人は作業にでていたため、山本はだれにもみとられず、

ハバロフスクのラーゲリの病室で息を引きとった。

45歳の生涯だった。

死亡時刻は病院側から伝えられた。

山本が案じていた長男の東京大学合格の知らせが届いたのは、

亡くなったすぐあとだった。

すでに、シベリアの秋は深まっている。

夕方、坂本省吾が作業を終えて衛門を入ろうとすると、

衛兵所の脇に新見此助が魂の抜けたような表情で、

ひとりつくねんと立っていた。

「山本さんが・・・・山本さんが死んだけんね・・・・」

それだけいうと、涙と鼻汁と顔をくしゃくしゃにさせた。

山本の死はまたたく間にラーゲリ中をかけ抜けた。

(220~221p)

  

山本(幡男)が亡くなったあと、潮崎はむっつりと黙り込み、

だれとも口をきかなかった。

佐藤からノートに書かれた山本の遺書を見せられた。

その遺書を読み終えると、山本の家族に会って遺書を渡すためにも

自分は生きて帰らねばならぬと心に決めた。

粗末なソ連製のノートの最初の一枚目には、

次のように記されている。

                〈山本幡男 謹白

敬愛する佐藤健雄先輩はじめ、この収容所において

親しき交りを得たる良き人々よ!

この遺書はひま有る毎に暗誦、復誦されて、

一字、一句も漏らさざるやう貴下の心肝(こころぎも/しんかん)に

銘じ給へ。

心ある人々よ、必ずこの遺書を私の家庭に伝へ給へ。 七月二日〉

(224p)

  

瀬崎が山本(幡男)の願いをなんとか実現させたいと思ったのは、

子供達への遺書を読んだときだった。

日本人として自分が死に臨んだときには、

このような立派な遺書を書きたいとしみじみ思った。

これは山本個人の遺書ではない、

ラーゲリで空しく死んだ人びと全員が

祖国の日本人すべてに宛てた遺書なのだ、と思った。

(225p)

  

北海道生まれの佐々木は親分肌で、

不思議と山本とはウマが合った。

「俺は一の能力しかなくても十の能力があるように見せられる。

 北溟子は十の能力を一しか見せん」というのが口癖で、

山本に一目置いていた。

佐々木のような男まで魅きつけてしまう山本の幅の広さと人脈に、

佐藤はあらためて瞠目(どうもく)した。

(226p)

  

1956(昭和31)年12月24日の朝、

興安丸はナホトカ港の岩壁に横づけになり、タラップが降ろされた。

乗船が開始されると、ひとりずつタラップを登った。

山岸研にはタラップが長い距離に感じられた。

舷側(げんそく)と岸壁のあいだには見えない国境がある。

いま、その国境を越えるかと思うと、足がふるえた。

歩いてわずか1分にもみたないタラップを、一歩一歩踏みしめた。

途中でふたたび呼び戻されるのではないかという不安と、

もう大丈夫なのだという思いとで歩(ほ)を運んだ。

(244p)

  

 

この興安丸は、1956(昭和31)年12月26日に舞鶴に到着します。

あの終戦(1945年8月15日)から、11年4カ月あまり。

このブログを書き始めて12年。

その期間を、極寒のシベリアで衣食住足りない状況で働いていたわけです。

想像を絶します。

  

つづく。

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