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2019年4月22日 (月)

生徒が貸してくれた本で、「松平春嶽」の勉強をする

今日は平成31年4月22日。

  

担任している生徒の中で、歴史大好きな生徒がいます。

その生徒が、よく本を貸してくれます。

この本が面白いから、読んでみて・・・といった感じです。

なかなか忙しくて、読むまでに日にちがかかりますが、

貸してくれた本は、必ず読んでいます。

歴史人物の本が多く、私にはいい復習(たぐる)の機会になっています。

今回読んだのは、次の本。

9784591155943 ポプラ社

コミック版 日本の歴史 松平春嶽(しゅんがく)」(ポプラ社)

 

この人物について詳しく知らなかったので、

いい勉強の機会になりました。

  

この本の中に何度か使われていた漢字熟語が気になりました。

英邁(えいまい)」です。

「英邁な将軍」といった使い方でした。

Wikipedia 松平春嶽を読むと、

春嶽のことを「英邁な藩主」と表現していました。

春嶽は福井藩藩主でした。

 

現在あまり見ない熟語ですが、

幕末にはよく使ったほめ言葉なのでしょうか?

  

英邁な藩主であった松平春嶽は、

幕末四賢候(しけんこう)と呼ばれました。

四賢候とは誰だろう?

調べました。

 

松平春嶽(福井藩)

山内容堂(土佐藩)

島津斉彬(薩摩藩)  

伊達宗成(むねなり)(宇和島藩)

 

斉彬亡き後は、島津久光が加わりました。

なるほど、なるほど。

幕末の幕府にも、もちろん優秀な人材がいて、

江戸幕府のために働いていたわけです。

 

 

その春嶽の家来には、有名な橋本佐内がいます。

この本ではさらに由利公正(ゆりきみまさ)が紹介されていました。

この本を貸してくれた生徒が、ちょくちょく口にする名前ですが、

私はどんな人か全く覚えがありませんでした。

春嶽の家来であって、明治政府にも参加した政治家であり、

財政家、実業家でもあったようです。

  

 

現在、新元号「令和」が誰が発案したものか、ニュースになっています。

「明治」はわかっています。

松平春嶽です。

本からの引用です。

  

「明治」の元号は中国の書「易経(えききょう)」に記された

「聖人南面して天下を聴き 明にむかいて治む」

(聖人が南を向いて天下の声を聴けば、天下は明るい方向に治まる、の意)

という一文から「明」と「治」の二文字をとって春嶽がつけたものである。

(104p)

  

  

さらに、松平春嶽と自転車との関係の記述も引用してみます。

  

幕末から明治にかけて、日本にも自転車が輸入されるようになった。

その自転車に、日本人ではじめて乗ったのが、松平春嶽だったと

いわれている。

春嶽に仕えていた藩士が残した『御用日記』によると、

文久2(1862)年、江戸霊岸島(現・東京都中央区)の福井藩邸で

「ビラシビイデ独行車(どっこうしゃ)」という三輪の自転車を、

藩士の佐々木長淳(ながのぶ)が組み立て、春嶽が乗り、

大いに楽しんだという。 (118p) 

 

次はリンゴの記述です。

  

越前松平家が発行した『松平試農場史』および、

青森県の「石黒民報」によると、

文久2(1862)年、春嶽はアメリカからりんごの苗木を取り寄せ、

それを江戸巣鴨の越前福井藩邸に植えた。

寒冷地でも育つりんごの特性を知っていた春嶽は、

津軽藩にりんごの導入を勧めたという。(中略)

昭和31(1956)年には、青森りんご栽培90年を記念して、

りんごの父・松平春嶽の像が作られ、盛大な記念祭が開催されている。

(118p)

 

  

  

松平春嶽の勉強ができた本でした。

明日本を生徒に返します。

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