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2018年9月23日 (日)

なぜ「毒水」が田沢湖に導入されたのか?なぜ今でも導入が止まらないのか?

今日は9月23日。

  

前投稿に引き続き、

クニマスは生きていた!」(池田まき子著/汐文社)より引用します。

  

田沢湖の湖水酸性化によって、クニマスは絶滅します。

酸性化には戦前の水力発電所建設という国策が関係します。

引用します。

  

水力発電所を建設する計画とは、

国力を強化する目的で、田沢湖を発電および灌漑のための

ダム湖にするというもの。

そして、田沢湖から流出する湖水をまかなうため、

玉川の水を引き込むというものでした。

(47p) 

  

この「玉川」が問題でした。

  

玉川は全長が103キロで、雄物川の支流としては

最長の川で水量はあるものの、玉川温泉か非常に強い

酸性の水が流れこんでいます。その源は玉川温泉の

「大噴(おおぶけ)」と呼ばれる湧出口で、98度の温泉が

毎分8トン以上も噴き出していました。

この玉川の「毒水」が田沢湖に導水されたら、

一体どうなるのでしょうか。湖がどのように変化するかは、

だれでも容易に想像できることでした。

この計画には、漁師だけではなく、地域の人たちだれもが

憤慨せずにはいられませんでした。

 

久兵衛の父の正善さんと祖父の金治郎さんは、

丸木舟の修理をしながら、息をひそめて話をしています。

「新しいダムを造るとなれば、かなりの費用が必要になるし、

何年もかかる。だから、田沢湖が目をつけられたわけだ・・・・。」

「電力会社は、田沢湖には60本もの沢の水が流れこんでいて,

 『毒水』が十分に薄められるから問題はねえと考えているらしい。」

「でも、それをだれが保証できる?『毒水』の毒は

徐々にたまっていくはずだし、魚はいずれ死に絶えてしまうんでねえが。」

「これは、国を挙げての計画だ。国に逆らって反対の声を上げれば、

国賊とか非国民とか言われ、どんな処分を受けるかしれねえ。

家族も親族も巻きこんで、大変な迷惑をかけることになってしまう。」

「大きい声では言えねえが、田沢湖に『毒水』を入れるなんてことは、

断じて許されねえことだ。でも、今は何もかもが戦争のため、

お国のためだと言われる。どうすればいいんだべ・・・・。」

「お国のためか ・・・・。」

どこにも怒りのぶつけようがなく、ふたりの心は深く沈んでいきました。

  

日本は戦時体制のもと、総力を結集しなければならない時期。

戦車や軍艦、鉄砲や弾丸などを作るためには,

大量の電気が必要とされていました。

(中略)

国も県も、田沢湖の地元の人々が反対し嘆き悲しんでいることを

知りながら、いっさい取り合ってくれませんでした。

当時は、田沢湖の自然よりも、そこに生きる魚類の命よりも、

国力の強化が何よりも優先されている時代だったのです。

(中略)

しかも、1937年(昭和12年)7月に始まった日中戦争は、

長くなることが予想され、また、その翌年に「国家総動員法」が

導入されたことにより、政府の統制はさらに厳しくなりました。

そんな中、玉川水系を利用した電源開発は計画通り進められることになり、

生保内(おぼない)発電所と神大(じんだい)発電所の工事が

次々に始まりました。

(48~51p) 

  

  

今だったら、

玉川の水が田沢湖に入る可能性はなかったでしょう。

戦争前、戦争中だったから行われたことだと、

この文章で思いました。

  

玉川の水を田沢湖へ導く水路が気になります。

現在もなぜか玉川の水は流入しているそうです。

なぜ?

 

田沢湖の南に広がる仙北平野穀倉地帯は、

玉川の水を田沢湖で薄めて農業用水として利用

することで栄え、「米どころ」の秋田を支えてきました。

けれども予想以上の速さで湖の水が酸性になったため、

湖から魚が姿を消したばかりか、

周辺の土壌も酸性化してしまい、稲の病気が発生したり、

米の収穫が減少したりしました。

(139p) 

   

ここにまだ玉川の水の田沢湖への流入を止めることができない

理由があるように思えます。

やはり酸性の玉川の水を薄める効果が

期待されているのでしょうか。

 

 

1989年(平成元年)10月に「玉川酸性水中和処理施設」が

完成し、1991年4月から本格運転が始まっています。

石灰石を毎日約40トンを使って、酸性水を中和する施設です。

この施設のおかげで田沢湖のpHは改善はされているようですが、

しかし、現在も田沢湖はクニマスが住むには、

向いていない状態だそうです。

 

田沢湖を玉川の「毒水」が引き込まれる前の姿に

よみがえららせようと、住民団体の

「田沢湖に生命(いのち)を育む会」が結成されたのは、

2002年(平成14年)1月のことでした。

(中略)

当時、石灰石を使った中和処理により、

湖のpHは少しずつ改善しているものの、

石灰成分が湖に沈殿したり、

湖の透明度を低くしたりする

恐れがあるのではないかとの声がありました。

そのため、会員たちは、田沢湖を元に戻すには、

酸性水の源である玉川からの導水をただちに止め、

何十年、何百年かかろうとも、自然の力で

湖が復活するのを見守るのが最良の方法ではないかと

提言をしたのです。

(141p)

 

  

「田沢湖に生命を育む会」の提言する玉川からの

導水停止は、依然、実現していません。

問題を解決するのは容易ではないということを、

会員たちは深く受け止め、

解決の道を模索し続けています。

「クニマスが生きていることがわかった今が、

田沢湖の環境を見つめ直す、言わば最後の機会と

言えるのではないか。」

「今こそ、田沢湖の復活を真剣に呼びかけていかなければ・・・。」

西湖で70年ぶりにクニマスが発見されたことは、

会員たちの田沢湖再生への思いをより強いものにする

できごとでした。

(143p)

 

  

クニマスのこと、田沢湖の水質だけを考えたら、

玉川からの導水ストップは可能でしょう。

でも何か事情があるのでしょう。

この本から感じたのは、米作りの灌漑に今も

利用しているので、止められないと推測します。

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