20180825樹海を歩いてきました 富岳風穴の中で見たもの
今日は9月4日。
台風21号、接近中。勢力の強い台風です。
今日はどのような1日になるか。
前投稿の続きで8月25日の登山報告です。
富岳風穴に迫ります。
年代物の看板です。
文章に言い回し、絵のおどろおどろした描き方、
いつの時代の作品なのだろう。
でも戦後でしょう。
↑ 暑い日でしたが、この階段を下りていく途中で、
風穴からの冷気のかたまりに入ることができました。
↑ 少し入っただけで、そこは別世界でした。
半袖で入るお客さんが多かったのですが、
寒さは我慢できるかと思いますが、
天井からしたたる水滴が結構あって、
濡れそうでした。
私は合羽を着ていたのでセーフ。
風穴奥は、社会科教師にとって魅力ある場所でした。
案内板から引用します。
「風穴」と養蚕
わが国での養蚕は古代にまで遡りますが、
明治以降には絹の輸出が日本経済を支えるほど
盛んになりました。
養蚕は蚕蛾が生んだ卵の管理からはじまります。
蚕の卵は暖かくなり始める春頃に孵化しますので、
養蚕の回数も年1~2回に限られていました。
そして明治中頃に、涼しい倉庫に蚕の卵(蚕種)を保管して、
孵化の時期を調整する技術が考えられたのです。
これによって年3~4回も蚕を飼うことが可能になり、
絹の生産も飛躍的に高まったのです。
※参考:ここでも道草 「ブラタモリ 10」で勉強/明治時代の富士風穴(2018年8月13日投稿)
蚕の卵だけでなく、他の物を貯蔵されていました。
こちらも案内板から引用します。
樹木種子の貯蔵
ここは山梨県が昭和30年ごろから昭和40年頃まで
スギ、ヒノキ、ナラ、アカマツ、カラマツなどの
種を全国各地から集め、密封した缶の中に入れて、
種の生命を長く維持し、種一つ一つの発芽率を
良くする目的で、一定期間保管していた場所です。
これらの種は毎年、春に出荷され各地で苗が育てられ
2年から3年後に山々に植え付けられて
木材生産や緑化に役立って来ました。
このようなことも行われてきたのですね。
じっくり時間をかけて見てきました。
風穴出入り口を見上げます。
いい体験ができました。
↑ 風穴出入り口付近にあった説明板。
なぜ溶岩の上に土があるのか、歩いていて疑問に思いましたが、
ここにヒントがありました。
風穴前のおみやげ屋さんで、Tシャツを買おう思いましたが、
綿100%ばかりだったので、買えませんでした。
夏に綿はきつい。
その代わりに買ったのはこれ↓
1本150円
家族5人分買ってきました。
まだ続く。
コメント