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2018年8月28日 (火)

沢村栄治にとって心から幸福と思った一戦

 

今日は8月28日。

  

前投稿に引き続き、

後楽園球場のサムライたち」(澤宮優著/現代書館)より。

 

沢村栄治さんのお父さん賢二さんが、

次のように言っています。

  

「もし栄治の野球生活にボールを握って心から幸福と思った

一瞬があるとすれば、この一戦の好投じゃなかったでしょうか」

(17p)

 

その一戦と言うのが、昭和9年(1934年)にべーブ・ルース等の

大リーグメンバーが来日して行われた日米決戦の第9戦です。

静岡県の草薙総合運動場硬式野球場で行われました。

それまでずっと大リーグのオールスターチームに、

圧倒されてきた日本チーム。

しかし、沢村栄治が先発したこの試合は違いました。

名だたる大リーガーが、沢村を打てない。

 

この試合の様子を、この本では詳しく書いています。

一部引用します。

  

0-0で迎えた7回。

 

この裏は全米チームは3番ベーブ・ルースからである。

絶好の攻撃の機会である。

ルースが全米の名誉にかけても打たんとする気迫が

マウンドの沢村にも伝わってきた。

だがルースは焦っていた。

沢村は意表をついたスローボールを外角いっぱいになげると、

簡単にバットを出して平凡な投手ゴロを打たせてしまった。

頬が充血したルースは、観劇に沸く観衆を横目で見て呟いた。

「この球場が悪い。太陽が目に入ったから打てなかったんだ」

(16p)

 

ベーブ・ルースにこんなことを言わせた沢村栄治。

気分よかっただろうなあ。

続く4番打者ゲーリックに、甘く入った変化球ドロップを打たれ、

ホームラン。

それでも、沢村が失った点は、この1点のみ。

日本は点を入れることができず、0-1で敗れるが、

9回まで息詰まる接戦でした。

こんなシーンもあったそうです。

  

一方では全米チームもスポーツマンシップを忘れなかった。

沢村が四球で塁に出たときはベーブ・ルースやゲーリックが

肩を冷やさぬようにと、駆け寄って自分が着ているセーターを

着せて、沢村の肩を叩いて激励をしてくれた。

(17p)  

 

こんなこともあったので、「心から幸福」と

思ったのでしょう。

沢村栄治18才。

まだまだ”大人”のしがらみが少なく、

体も絶好調だったので、

怖いもの知らずで、伸び伸びと投げていたのでしょう。

  

そんな沢村に、その後戦争が暗い影を落とすのです。

  

 

この本に、巨人軍が沢村を入団させるときの、

正力松太郎さんの言葉が載っていました。

※参考:ここでも道草 沢村栄治1.黒鉄ヒロシさんのコメント(2012年4月26日投稿)

「一生面倒を見る」とは書いてありませんでした。

 

正力は「とにかく日本の野球も必ず職業野球の時代がやってくる。

だから栄治君を僕に任せてくれないか。

そのときだけの面倒を見るというのではなく、

先の先まで、面倒を見るから正力を信用して

万事お任せください」と父親の賢二を説いた。

(18p)

 

これが黒鉄ヒロシさんの言う

「一生面倒を見る」の具体的な言葉なのでしょう。

 

  

しかし!もう私はこの「具体的な言葉」を調べていた。

過去の記事を読んでいて、この記事に出会いました。

ここでも道草 巨怪伝・・・沢村栄治/死んでしまえば仇花(2012年4月29日投稿)

ちゃんと調べていた私。

すっかり忘れていたことに驚き。

でも当時の私自身を褒めたい気持ちもあります。

「やるじゃん、俺」

 

つづく  

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