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2018年8月26日 (日)

「8月15日のプレーボール」その7.最初の試合 成田中対京都二中

 

今日は8月26日。

  

前投稿に引き続き、

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」より。

  

番組ではないけど、

この動画が目に入りました。

  

Photo  

第28回全国中等学校優勝野球大会の映像がありました。

Photo_2

昭和21年、大会初日は8月15日。

8月15日は太平洋戦争が終わったhからちょうど1年。

8月15日が選ばれたのは、そのような日をあえて選んで、

8月15日が敗戦の日ではなく、高校野球が復活した喜ばしい日と

したかったのでしょうか。そんな想像をしました。

 

Photo_3

前投稿で書いた記念ボール贈呈のシーンありました。

前投稿の新聞記事の写真よりも鮮明です。

 

謎の写真↓

Photo_4

この写真は何だろう?

何か、開会式に向けて、いいものを落下させた?

たとえば、ポール・ラッシュ中佐の贈呈した記念ボールが、

パラシュートでグランドに落とされた・・・

などと予想しました。

  

調べました。

  

バーチャル高校野球

このサイトには、次のように書いてありました。

  

西宮球場の上空を飛ぶ米軍機。

後部から見える白い帯は、散布された殺虫剤のDDTだ。

戦後、シラミやノミを駆除するため、

連合国軍総司令部(GHQ)が国内中で使った。

人が大勢集まる球場も例外ではなかった。

  

何と!殺虫剤!

全く予想外でした。

  

さらに次のような文章もありました。

  

戦後初の第28回大会は、GHQによる「占領色」が色濃かった。

大会会長があいさつした後、祝辞を述べたのは

元立教大教授でGHQのポール・ラッシュ中佐だ。 

その後、ラッシュ中佐は代表19校の主将と握手を交わし、

米国製のボールを寄贈。米軍機の祝賀飛行もあった。

  

米軍機の祝賀飛行もあったのですが、

上の写真は、DDT散布でした。

この動画で説明はなかったです。

観客や選手は、どんな気分で、白い粉をかぶったのだろう。

あまりに今と状況が違いすぎて、予想がつかないです。

  

そして記念すべき第一試合が、

成田中(千葉県)VS京都二中の試合でした。

第一試合だったのですね。

Photo_5

ここで前投稿でも書いたシーンがありました。

再掲載。

 

成田には第六回二死後両石原の二安打で

好機をつかむかと見えたが、

石原(照)の本塁滑り込みの失敗で

寸前に憤死したのは、(中略)惜しまれる。

(昭和21年8月16日朝日新聞)

石原照夫さんはピッチャーであり、

相手投手との投げ合いで、0-0が続いていました。 

自らがホームインして、均衡を破ろうとしました。 

しかし、アウト。

その憤死した時の写真です↓

Rimg0157  

石原照夫さん↓

Rimg0159

 

ナレーター:(写真を見ると)キャッチャーがタッチする前に、

  ホームインしているように見えます。

  成田中のチームメイトは、石原(照)が、

  ホームベースに滑り込んだ瞬間をはっきりと

  覚えていると言います。

 

石田さんと同じチームの、もう一人の石田(利男)さんn証言。

Rimg0158  

石田(利):ヒット打って、走ってくるのを見ていたから、

  (中略)タイミングはセーフだった。完全に。

  初の得点だなと思った。

 

しかし、前述したように判定はアウトでした。

  

ナレーター:この場面が勝負の分かれ目となりました。

  0対1で成田中は敗れました。

 

冒頭の動画より。

Photo_6

写真は京都二中の得点シーンです。

  

試合直後、ホームベースをはさんで両校のあいさつ。

その後、ホームベースで憤死した石原照夫さんは、

投げ合った相手校のピッチャーのもとに駆け寄って、

次のように言いました。

  

石原(照):ありがとう。次の試合、頑張れよ。

相手投手:おう。

  

ナレーター:悔しさをにじませることなく、

  惜しみないエールをライバルに送ったのです。

  この時の心境を、石原は後にこう振りかえています。

石原(照):セーフでもアウトでも

  そんなことはどうでもいい。

  戦争が終わり、思い切り野球ができた。

  夢中で投げられ打てた。

  それだけで十分だった。

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ナレーター:ただ生きて、白球を追う。

  それがどれだけありがたいことか。

  グランドを駆け回った球児たちは、

  思いのままプレーをする喜びにあふれていました。

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石原(利):当時はね、負けて悔しいって問題じゃないんだよなあ。

  ああ、ここで試合をしている。

  ここで試合して、好きな野球ができてさ、

  もう純真そのものじゃなかあ。

  ひとつのスポーツに打ち込めた人間として

  俺は、幸せだったと思うね。

ナレーター:戦時中、何の役にも立たない遊びと非難されてきた野球。

  その野球が、戦争で傷ついた人々の心を癒し、

  戦後の日本を牽引する力となっていったのです。  

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戦争は、やりたいと思ったことができなくなる時だと、

番組「英雄の選択」で磯田道史さんが言っていました。

やりたいと思っていた野球ができた時の、

2人の石原さんの言葉は、尊い。

やろうと思えば、とことんできる平和な今を、

もっと大切にしたい。

もう少し、とことんやりたい。

  

最後に、第28回全国中等学校優勝野球大会の

優勝校を紹介。

決勝戦で2-0で京都二中を破った

浪華商業でした。

冒頭の動画の写真です。

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つづく

 

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