大河ドラマ「西郷どん 17 西郷入水」より
今日は5月11日。
5月6日放映のNHK大河ドラマ「西郷どん」は、
第17回「西郷入水」でした。
慶喜擁立の策に敗れ西郷隆盛と月照は、
井伊直弼が実権を握る幕府から追われ身になります。
2人は薩摩に逃れて身を隠します。
島津斉彬亡き後の薩摩藩は、
父親の業興が実権を再び手にします。
そんな薩摩藩は、西郷と月照に「日向送り」を命じます。
「日向送り」とは?
ドラマの中でこう語られていました。
大久保利通:近々、吉之助さんと月照さんに、
「日向送り」の沙汰が下る。
有馬新七:日向送り・・・なにごてじゃ、
なにごてそんなことになっとじゃ!(中略)
大山格之介:確かに2人一緒に日向送りはひどか。
ナレーター;「日向送り」とは、薩摩の国境、日向まで追放し、
処刑することを意味しました。
死を覚悟した月照が、辞世の句を書くシーン。
何と書いたか。
大君のためには 何か惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも
ドラマでは、大久保が西郷に言います。
西郷が生き残るためには、月照を亡き者とせよ。
しかし、西郷は、月照と一緒に錦江湾に飛び込みます。
入水した場面でドラマは終わりました。
次回はどうなる?
「西郷どん紀行」で京都のお寺が紹介されました。
京都市の東福寺の即宗院。
薩摩藩の菩提寺のひとつ。
西郷隆盛と月照は、幕政改革の密謀をめぐらし、
その境内の奥にあった庵(いおり)、
採薪亭(さいしんてい)で密かに会っていたそうです。
そんな歴史の舞台が京都市にあることを、
また知りました。いつかは行きたいですね。
さらに「西郷どん」紀行より。
鹿児島市にはこのような碑があるそうです。
さらに、月照が入水した時に身につけていたとされている
衣が残っているそうです。
月照とともにいた従者が持ち帰ったとのこと。
家にあった事典で、「月照」を調べてみました。
引用します。
今まで調べたことがない人でした。
今回大河ドラマで興味をもつことができ、
ブログにも登場させました。
月照(1813~1858年)
僧侶から一転尊王攘夷へ
大坂の町医者の子として誕生するが、
出家して僧侶となる1835年(天保6)年、
成就院の住職となる。しかし、一山改革に失敗し
北越を放浪。隠居処分となり、月照と名乗る。
その後、近衛忠熙と交流を持ち、
尊王攘夷運動に身を投じる。
将軍継嗣問題では、一橋派に与し
井伊直弼から危険視された。
1858年(安政5)、西郷隆盛、海江田信義(有村俊斎)らと
井伊直弼打倒を画策。
同年の安政の大獄により、追われる身となる。
月照は西郷とともに薩摩国へ逃れるが、
薩摩藩では月照の受け入れを拒否。
日向国へ行くように命じる。
死を覚悟した月照は、西郷とともに錦江湾で
入水自殺を図った。
西郷は奇跡的に助かったが、月照は死去。
「ビジュアル 幕末1000人」」(世界文化社)145p
「奇跡的に助かった」とのこと。
次のサイトによると、一緒に船出した
平野国臣らに助け出されたとあります。
5月6日の放映のドラマでは、錦江湾に浮かぶ船では、
西郷隆盛と月照2人のみ、船上にいるような展開でしたが、
13日放映の次回は、西郷を助ける人たちや、
月照の衣を回収する従者たちが、急に現れるのでしょうか?
それもまた楽しい。
最後に「入水」の読みについて。
「にゅうすい」と思い込んでいましたが、
「じゅすい」でした。
意味は「水中に身を投げて自殺すること」
「入水」の中に「自殺」の意味を含むため、
「入水自殺」というのは誤りだそうです。
あらためて思います。
勉強するきっかけはいつでもどこにでもあるんだなと。
大河ドラマを見たおかげで、いろいろ勉強できました。
道草万歳。
さあ出勤!今日は中間テスト。
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