「驚きももの木20世紀」その3/442連隊の精神
今日は2月4日。
前投稿に引き続き、
1993年10月29日放映の
「驚きももの木20世紀 チャレンジャー爆発」をここに書き留めます。
宇宙飛行士は、宇宙に行くときに持参するものがあります。
どれだけでも持参できるわけではなく、
限られた量だけでした。
したがって、何を持参するかで、宇宙飛行士の思いが表れます。
ディスカバリー号搭乗の際に、
エリスン・オニヅカさんは3つのワッペ持参しました。
その中の、このワッペンにまつわるお話を、書き留めます。
ディスカバリー号搭乗後、彼はハワイに凱旋帰郷。
偉業を成し遂げたお祝いのパーティーが行われました。
そこには母の姿もありました。
夢だった宇宙に行くことができたエリスンさん。
その喜びは、エリスンさんだけでの喜びではなく、
エリスンさんのことをアメリカ中の日系人が、
まるで自分の息子のように祝いました。
なぜか?
ハワイの農園には、日本人の血と涙がしみ込んでいます。
ハワイに日本の移民が移り住んだのは、135年ほど前だそうです。
(番組では110年ほど前と言っていました)
そのほとんどが、サトウキビ畑やパイナップル畑の労働者でした。
日系人たちは団結し、
お互いに助け合わないと生きていけませんでした。
やがて苦労は実を結び、ほとんどの人たちが、
自分の土地を持てるようになりました。
1941年。
突然に日本軍がハワイを攻撃しました。
太平洋戦争の勃発です。
祖国日本とアメリカとの戦い。
日系人は苦難の時代を迎えました。
強制収容所に入れられた人も多かったそうです。
日系人への迫害の嵐が、自由の国アメリカで吹き荒れました。
この時に立ち上がった日系人がいました。
なぜ日系人だけ差別を受けるのか。
彼らは、アメリカ軍として戦うことで、
日系人としての誇りを保とうとしました。
そんな日系人の部隊が442連隊です。
442連隊は、ヨーロッパ戦線で、命を惜しまぬ戦いっぷりで
活躍をしました。
442連隊が、アメリカ軍部隊の中でも、
最も勲章を得た部隊として記録されています。
ただその勲章の陰には、おびただしい犠牲がありました。
部隊の半数以上の者が負傷あるいは戦死しました。
↑これがエリスンさんが宇宙に持参したワッペンのマーク。
442連隊のマークでした。
442連隊のことを今も日系人は忘れていません。
そしてエリスンさんも。
エリスンさんも、お祝いの会のスピーチで言っています。
もう一度宇宙に行けるとすれば、
442連隊や100大隊の日系人がしたのと同じように、
私も合衆国に忠誠を誓います。
戦後生まれのエリスンさんに、
442連隊のことをいつも語っていたのは、
母親でした。
日系人の人たちにとって、442連隊の人たちの精神は、
心の中に植えつけられているものなのでしょう。
きっとそれは私たちの予想を上回っていると思います。
ただ、この番組から25年。
エリスンさんの世代は引退して、今は次の、
あるいはその次の世代が中心です。
442連隊の精神は、今も日系人に受け継がれているのでしょうか。
古い番組を書き留めていると、今はどうなんだろうと思います。
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