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2018年1月21日 (日)

「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」その3/プロ入団までのキャリア

今日は1月21日。

  

前投稿に続いて「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」

(テリー伊藤著/角川oenテーマ21)より引用します。

  

弱みを見せまいとする落合監督は指示されない・・・・ 

  

それでも、落合は自分の信じた道を突き進む。

「あいつがいなくなった」とか

「あいつさえいてくれたらなあ」という未練などまったく持たない。

そんな情緒的なことを言う男ではない。

「彼らの役目は終わった。いま、うちのチームには必要としない。

周りが彼らを過大評価しているだけだ」

戦力ダウンについて報道陣に聞かれても、そう言ってのける。

「落合監督。じゃあ、どうやって戦力強化するんですか?」

「何の強化もいらないんじゃない」

だれが考えても、強化がいらないはずはないのに、そう答えてみせる。

しかし、その言葉だけ聞くと、「また落合は」と誤解されてしまうが、

その後、真意をこう語っている。

(72p) 

  

え、その後、真意を語っているの?

そう思って続きを読んでみました。

  

「去年はウッズと中村紀の2人で149点取ったけれど、

彼ら2人の守備でどれだけ失点したか。

得点は減るのは事実だが、守備のマイナスが解消される。

それこそが最大なる強化だ」

ファーストのウッズ、サードの中村、センターの森野将彦。

08年の中日は、この3つが「守備の弱点」として

落合監督の頭痛の種だった。

「この守備陣では、点を余計に取られることはわかっていた。

5点、6点を取られても打線でひっくり返す野球をするしかなかったが、

その打線が機能しなかった」

本来、サードに置くべき森野をあえて外野に回したのは、

打線を重視したからだったが、

その3つの穴のおかげで「守り負け」した試合が数々あった。

中村が抜けたことで森野をサードに戻し、

守備のいい選手をセンターに配置できる。

ブランコはウッズより数段、守備がいい。

つまり、守備の穴はなくなる。

それを見越して「強化はいらない」という言葉を使ったのだ。

「いやあ、今年も守備がボロボロで、

おまけに打って返すはずの打線もさっぱりで、

まいっちゃったよ」

お笑い芸人なら、そう言ってファンに弱音を吐くところだろうが、

落合監督は静かにこう言った。

「点を与えず、どうやって1点をとるかという簡単な野球に戻すだけ」

(73p) 

 

落合監督の頭の良さというか、選手をしっかり見ているというか、

驚きです。

「その後」に説明したのはわかります。

勝負ですから、手の内を見せないのでしょう。

でも3選手を失っても、次が考えられる落合監督なのでしょう。

  

  

自分が正しいと思ったことは、どんな軋轢が生まれようとも主張する人間。

周囲との折り合いや前例なんか気にせず、信念を貫く人間。

常に有言実行、保険もかけず、退路も断って、勝利を目指す人間。

そういう人間がいないことが日本の活力を低下させているのだ。

そういう人間が、この国には必要なのだ。

つまり、いま、日本人にいちばん必要なのは「落合力」なのである。

(111p)  

「俺って、世間の人にどう思われているのだろう」とか

「好感度が下がらなように気をつけよう」などという姿勢が、

見ている人に悟られてしまうようなタレントには魅力がない。

そんなことは気にもとめていないように見える人ほど魅力的なのだ。

たとえば、所ジョージや高田純次のように、

自由で身構えていないタレントのほうが、

媚びるタレントよりも支持される。

だから、落合監督も、あのままでいい。

媚びず、はしゃがず、人目も気にせず。

それでこそ、落合監督なのである。

マスコミに嫌われたら、それを自分のパワーにする。

ファンにブーイングを浴びたら、またそれをパワーにする。

「なにくそ」というパワーこそが「落合力」の源泉なのである。

(125p)

  

この本で私が一番見習いたいのはここかもしれない。

少しぐらい批判されても、くよくよしない。止まらない。

「なにくそ」と思って、さらに動く。

実は今はその実践中。

懇談会できついことを言われて、少々くじけていました。

でも冬休みで充電。動き出しました。

成果が出てきています。

そして、この本。

「なにくそ」と素直に思って、さらに加速しそう。

タイムリーな本でした。

    

  

落合博満のプロに入団するまでのキャリアを、

この本で初めて知りました。

その部分を最後に引用します。たっぷり書き留めたい。

  

だいたいからして、この人は、さかのぼってプロに入団するまでの

キャリアを見ても、実にタフに生きている。

東洋大学の野球部をやめて、学校も1年で中退。

ふつうの野球選手なら、そこでキャリアは終わっているはずだ。

「あいつは王さんにも負けないほどの素質があったけど、

先輩にいじめられて途中でやめちゃったんだよ。

もしあのままつづけていたら絶対にプロで成功していたはずだ」

そんなふうに「逃がした魚は大きかった」的な伝説というのは、

日本中の野球場に数えきれないほど転がっている。

(中略)

落合は、そういう「幻の天才バッター」で終わっていたとしても、

何の不思議もないところにいた。

大学をやめて実家の秋田に帰り、

ボウリング場でアルバイトをしていた落合は、

そこでボウリングに目覚め、本気でプロボウラーになろうとしていた。

たまたまプロテストを受けられなくなってしまったから、

プロボウラーにならなかっただけで、

もし無事に受験していたら、

まちがいなくずっとそこで生きていたことだろう。

その後、東芝府中に「臨時工」として就職し、

野球部に入った落合は、ここで再びバットを手にすることができた。

だが、そこは川崎市の名門チーム「東芝」とは似て非なるチームで、

非常にマイナーなノンプロ球団だった。

しかし、そのチームを落合のバットで初の都市対抗野球出場まで

もっていった。

この活躍が、日中はトランジスタラジオの基盤をコツコツ組み立て、

夕方から野球の練習をしていた臨時工員を25歳にして

プロ野球選手に出世させたのだ。

その東芝府中野球部もリストラのあおりで、いまはもうない。

落合物語の哀愁である。

「でも勝負の世界なんだから、実力がある者は、いずれちゃんと

そうやって頭角を現すものだよ」

そんなことを本気で思っている人は、

おそらくプロアマ含めて野球界には1人もいない。

実力があってもつぶれる選手はいくらでもいるし、

実力があってもつぶされる選手はいくらでもいる。

こうした落合博満という野球人の序章を見ると、

その後の落合があるほうが不思議なくらいなのだ。

この序章で、どこにいても生きていける力を磨いていったことが、

「落合力」の骨格となっていったことは想像に難くない。

アマチュア時代から名門チームで華やかな野球をしていた

エリート選手には到底、身につけることのできないマイナーのオーラ。

それがメジャーなステージでも不気味に輝いていた落合の源流にある。

そして、それこそが「落合力」として、

いま、まさに輝きを増しているのだ。

(141~143p)  

 

 

ビックリのキャリアでした。

人生、何がプラスになるかわからないんだ。

自分の今までのキャリアは、

自分の生きっぷりをどのような形にしたのだろう。

これからの私の人生をどこに連れていってくれるだろう。

なかなか自分では見えないし、予想できない。

その時その時は精一杯やってきたつもり。

後悔したくない。

これからも精一杯。

  

  

 

ブックオフで立ち読みして面白そうだと思い、

そこで買い惜しんで、図書館で借りた本。

出会えてよかった。2010年の本。

たっぷり引用しました。

また機会があったら読み直そう。

収穫あり。いまから図書館に返却に行きます。

午後6時に閉館してしまう!

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