通算5300本目の投稿\「COCORA」からの引用/
今日は6月3日。
前投稿に引き続いて
「COCORA 自閉症を生きた少女 小学校篇」
(天咲心良著/講談社)より引用します。
数日後、今度こそ何とかしようと、鍵盤ハーモニカに挑んだ
私だったけど・・・・・先生たちも喜んでくれたけれど、
でも、またしても私は、癇癪をおこしてしまった。
『息を吸いながら弾く』がどうしてもできない。
頑張っているのに、できない。
息を吸い込むことに集中すると、指をどうすればいいか分からなくなる。
指に気を取られていると、息を吸うことを忘れる。
吸いながらは弾けないから、息継ぎをしなければいけないけれど、
どうやったら息継ぎができるのかが、分からない。
指を言われたとおりに動かそうにも、動かない。
※一次障害:二つ以上のことを同時にできない。
何もできないクセに、プライドだけは人一倍高かった私は、
人前で『できない』自分を晒(さら)すことが
死ぬほど嫌でたまらず、またも号泣しながらパニックを起こしてしまった。
私は叫んだ。鍵盤ハーモニカを投げて、怒りを露(あらわ)にした。
ワンワン泣きじゃくった。
どうしたらいいのか分からなかった。
どうしてできないのかが、分からなかった。
思ったようにできないこと。それは、子供にとっては当たり前のこと。
でも、私は人一倍、思ったようにできなかった。
小さくても、心だけは一丁前。
私の心の中には、すでに劣等感が芽生え始めていた。
※自閉症スペクトラム障害(ASD)の二次障害:
適切な対応を受けないことにより、劣等感や自己評価の低下、
不安感に苛(さいな)まれるようになり、情緒不安定になりやすくなる。
(53p)
「劣等感や自己評価の低下」「不安感」
子どもたちにできたら持たせたくない感情です。
でも手を誤ったり、不用意な一言で簡単にそうなってしまう恐れ。
日々気をつけていますが、難しい。
なんと私は五歳でありながら、いまだに『追いかけっこ』の
正しいルールを理解できていなかったのだ。
いや、『鬼ごっこ』と言われていればよかった。
『鬼ごっこ』ならオニに追いかけられて逃げる、
触られたら交代、と、何となく分かる。
でもその時先生に言われたのは、『追いかけっこ』であって、
『鬼ごっこ』ではなかった。
私の中で、鬼ごっこと追いかけっこは、
同じものであると認識されていなかったのだ。
※一次障害:ゲームや遊びのルールが分からない。融通が利かない。
(55p)
他の子には当たり前でも、障害のある子には当たり前ではない。
そんな”当たり前”のことを、集団指導をしていると忘れがち。
私は誰もいない園の運動場をフラフラと歩いては、
わずかに生えた雑草を眺めたり、
遊具の塗料が錆びてはがれてできた、無作為で魅力的な模様を、
ずーっと眺めたりして物思いに耽(ふけ)る。
そうするととても気持ちが落ち着いて、
ようやく喧噪(けんそう)から離れてホッとできるのだ。
ぼんやりしていて外の世界の理屈はてんで分かっていないクセに、
小難しく物事の理論や成り立ちや、あり方を考えることは、
私の大好きな『遊び』の一つだった。
覚えることじゃなく、私は、考えたり発想したりすることがしたかった。
そういうことのほうが好きだった。
だから一人でずっと考え事をしていることが多くなった。
考えることが、楽しかった。
月はなんで落ちてこないのか、風はどこから吹くのか、
そんなことばかり考えていた。
そして、風と話ができたらいいのにとか、
水たまりの中に魚が住んでいればいいのにとか、
魔法が使えればいいのにとか、いろんなことを想像して、
一人で遊ぶようになっていった。
頭の中では、私は自由だ。どこにでも行ける。何でも、できる。
一人でいろんな空想をしたり、その中にどっぷりと浸って遊ぶ。
それが私の中で『一番楽しい遊び』になり、
外の世界と私とを隔てる大きな囲いになった。
※一次障害:ひとりで自分の世界(ファンタジー)にふけることが多く、
一定のパターン化された空想やファンタジーに没入する。
私は一人でいる時にニコニコ笑っている事が多くなり、
そういう時だけ静かに穏やかに過ごすようになった。
(59P)
長く引用しました。
でもこの部分は何度も読んで頭に刻みたいと思いました。
「自分の世界にいるな」と思う子はいます。
どんなことを考えているのかヒントになりそうです。
今日の引用はここまで。
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