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2016年12月29日 (木)

「真田丸」シリーズ29 北野天満宮の「秀頼公」

 

今日は12月29日。

  

12月1日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!大坂の陣はいかにして起きたのか?

家康VS秀頼の真相に迫る!」を見ました。

特に印象に残ったシーンの聞き書きをします。

  

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ナレーター:関ヶ原の戦いの後も、豊臣家は依然全国に

  多くの直轄領を持っていた。

  その莫大な財力を背景に、豊臣家は神社仏閣の建立や修繕を

  数多く手掛けている。

  そこには信心深かった淀殿の意向があったとされている。

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  通説では、この経済的な負担が、豊臣家を弱体化させる

  一因になったと伝えられてきた。

  しかし、捜査から社寺造営は豊臣家にとって大きなメリットが 

  あったことがわかってきたのである。

  社寺造営のメリット①豊臣家威光のアピール。

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  この時期、豊臣家が造らせた社寺が、

  どれも有名なものばかりであることに驚く。

  東寺の金堂、法華寺、住吉大社など、

  現在国宝や国の重要文化財に指定されているものばかり。

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  その一つ、京都の北野天満宮。

  慶長14年に秀頼が造営した本殿は、

  現在国宝に指定されている。

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  一流の職人たちが精魂を傾けた建物は、

  当時も今も人々を魅了してきた。

  社殿の擬宝珠(ぎぼし)に目をやると、「秀頼公」の文字が↓

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  そしてこちらにも名が刻まれている↓

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  参拝した人びとは、当然この威容を誇る社殿が、

  豊臣家によって造営されたことを知っていた。

  社寺造営は、豊臣家の威光が今なお健在であることを示す

  絶好の機会となり、徳川とは違う形で、

  存在感をアピールできたのである。

  さらに、徳川に一矢報いるメリットが・・・・・

  

「秀頼公」の文字を見るために、北野天満宮に行きたくなりました。

400年前の書かれた字が、露天の場所にずっと残っているなんて

非常に興味をそそられます。

  

豊臣秀頼による寺社造営については、

以前「歴史秘話ヒストリア」でも扱っていました。

その番組にもこのブログに書きとめておきたいことが

いくつもありましたが、それはまたいずれ。

  

まだ続きます。

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