医王寺で勉強/武田勝頼の本陣だったんだ
今日は11月7日。
この土日はあちこち動きました。
土曜日の5日は、山仲間のお母さんの葬儀でした。
葬儀会場は新城市医王寺。
この医王寺が興味深いお寺でした。
風情(ふぜい)がありました。
↑境内にあった大きな木はクロガネモチでした。
説明板があって勉強になりました。
↑創立は1541年だそうです。古いです。
その60年ほど後に起こった「長篠の戦い」では、
医王寺に武田勝頼の本陣が置かれたそうです。
医王寺から少し離れた場所に「本陣」という料理屋がある理由が
今さらわかりました。(思い出した?以前聞いたような気もします)
歴史の舞台になった有名なお寺でした。
石碑も立派なのがありました↓
上の説明板の一部を引用します。
決戦前夜のこと、勝頼の枕元に白髪の老人が立ち、
「明日の決戦は無謀だ、戦いをやめて故郷に帰りなされ」
といさめたところ夢うつつに勝頼は
とっさに傍らの太刀をとり、老人の肩口に斬りつけました。
老人は煙のように消えましたが、
翌朝、弥陀池の久葦?がすべて片葉となったというお話です。
関連してこの説明板↓
葦の葉を確かめたかったのですが、
季節が違ったようです。
ツワブキは花盛りでした。
毎年、学芸会がある頃に花盛りを迎えます。
5年前の劇で重要な役割をした花です。
思い出深い花です。今年の学芸会は11月19日。
これは案内板ですね↓
この案内板を見ると、医王寺の裏山には物見櫓があるようです。
葬儀が済んだ後に、喪服を着たまま登ってきました。
それは次の投稿で書きます。
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